東埼川祥平は小説を書いたり読んだりすることが趣味の陰キャボッチ高校生である。
自宅から徒歩圏内の学園に通っていたが、そこへシベリアから日露ハーフの超絶美少女・西亜口(しあぐち)ナーニャが転校してくる。
彼女はクラスメイトたちと一切交
流を持つことなく学園で孤立していた。
そんな彼女が、ある日、祥平の自宅近くの山にある猫玉神社へ向かっている姿を目撃する。彼女のことが心配で尾行した祥平は、彼女が神社の境内で野良猫と戯れる姿を目撃してしまう。
超絶クール美少女のニャンニャンタイムを目撃してしまったことで祥平は彼女から命を狙われ、さらには思いこみの激しい彼女からスパイ疑惑をかけられることになってしまう。
それをきっかけとして、祥平は学園一のボッチ美少女と交流を持つようになるのだった。
シベリアからやって来た自称スパイのクール&エキセントリック&ポンコツかわいい日露ハーフ超絶美少女との殺伐ギャグラブコメディです!
ナーニャのほかにも武道大好き脳筋幼なじみ北瀬山里桜(きたせやまりお)と祥平のことを兄妹でもないのに「お兄ちゃん♪」と呼んで慕う危険なヤンデレ少女も加わって学園ラブコメはよりエキセントリックかつエスカレート!
笑って楽しめてクーデレ美少女のかわいさを堪能できる作品になっていると思うので、ぜひぜひ、お楽しみください!
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-09-30 22:08:16
107972文字
会話率:43%
西暦1917年3月15日(ユリウス暦3月2日)、一羽の鷲が地に伏した。
鷲は、名を『ロシア帝国』と言う。
周辺諸国を武力によって併合し、『民族の監獄』とすら呼ばれた帝政ロシア――ツァーリによる専制体制は、強大な軍事力によってのみ、そ
の秩序を保っていた。その軍事力の脆弱さを露呈させ、帝政ロシア崩壊の遠因を作った戦争が、『日露戦争』。中でもロシア海軍が決定的な大敗北を喫し、時の皇帝ニコライII世を講和のテーブルに引きずり出した戦いを、『ツシマ海戦』と言う。日本で言うところの『日本海海戦』。東郷平八郎率いる連合艦隊と、ロジェストヴェンスキー率いるバルチック艦隊の決戦である。
ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将――敗戦の将と言うこともあり、何かと悪く書かれることの多い人物であるが、実際はどうであったろうか。
1905年……帝政末期のことである。官僚機構は腐敗し切り、労働者はストライキやデモに明け暮れ、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが既に暗躍を始めている時代に行われた、4000海里にも及ぶ想像を絶する大航海。道中の海は全て敵国イギリスもしくはイギリスの顔色を伺うばかりのフランスに握られ、碌に寄港も出来ず、慣れない熱帯の気候で病死者が相次いだ旅路。
実に1万人もの将兵及び非軍人水夫を、遠くバルト海からアフリカ大陸は喜望峰を回り、対馬海峡まで引っ張り続けた彼を、その統率力を、『敗戦の将』などと言う言葉で纏めてしまって良いのであろうか。
これは、ロシア帝国海軍バルチック艦隊司令官ロジェストヴェンスキーによる、救いのない、苦難に満ちた旅路の物語である。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-08-07 18:04:05
6621文字
会話率:4%
日露戦争。
それは明治日本における近代化の集大成であり、日本史においても煌びやかな時代の一つである明治時代の終着点である。
だが、太陽はいつか沈み、満月もゆっくりと欠けていく。
事実、日露戦争が終わると日本はまるで坂道を転げ落ちるかのように
迷走し、遂には8月15日を迎えてしまった。
本書は日本史において重要な物語である日露戦争が生じなかった世界線である。
歴史のifが生じた世界線を見に行こう。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-05-23 20:00:00
23457文字
会話率:23%
乙女ゲーム「ロマノヴァ」は、ロシア帝国が滅び、ボリシェビキに追われた皇帝一家が、樺太で|無地領主《Landless Lord》と呼ばれて、再興を図ったことで描かれていた。日露戦争に勝利した日本が、世界大戦中に起きた、ボリシェビキ革命の中で
、国を追われた皇子皇女達を助けて、樺太道敷香郡に迎えたことが描かれていた。庶民の娘で特待生で入学した主人公は、ロマノヴァの血を引く橘和哉と高等科で出会い、恋をして二人が結ばれるという話である。
問題は、上之宮玲華として生まれた、あたしだ。
金髪碧眼の公爵家令嬢として生まれた上之宮玲華は、同じ金髪碧眼の雅哉に憧れて恋をして、主人公との仲を邪魔する悪役として登場する。最後まで邪魔をしたことで、橘和哉に上之宮財閥を潰され、父は逮捕され、あたしは犯罪者の娘に落とされた。
乙女ゲーム「ロマノヴァ」の上之宮玲華には、悪役としての破滅が待っている。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-03-01 20:00:00
9964文字
会話率:46%
1908年。日露戦争と第一次世界大戦の間にあった出来事。
伝説の聖戦士、St.ジョージの仮の姿、ジョージ・ステュアート卿は英国王女、
ヴィクトリアに召喚される。
『不死の者』と呼ばれ、歴史上の政変、戦争に係って来た異能者たちが、組織的に歴史
に
介入しようといており、自身も『不死の者』のジョージはそれを阻止するため、復活した
『アーサー王』の確保を命じられる。
かつての戦いで封印したドラゴン、今は修道女のアン・アレックスを口説き落とし、
彼女を伴って『アーサー王』が復活した上海へシベリア鉄道で赴くジョージ。
『アーサー王』の確保をカルト教団に命じられたヴォルフ・シックルグルーバー、協力を
装う日本陸軍の白井莞爾らをあしらいながら、『アーサー王』にたどり着くジョージ達に、
突撃兵を操るカリオストロと最強の聖戦士、ジャンヌ・ド・アークが立ちはだかる。
ジョージは辛うじてジャンヌたちを退けるが、自身も致命傷を負ってしまう。
『アーサー王』ことアートの『転命術』で生き延びることができたジョージ達に張作霖
率いる清国特殊部隊が迫る...折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-02-27 09:13:59
14167文字
会話率:61%
支那事変の前線にいた竹田宮恒徳王大尉は、異動を命じられ、東京に戻りました。新任地は参謀本部歴史編纂部です。任務は、支那事変の戦史を編纂することです。支那事変が始まってすでに二年以上が経過しており、参謀本部は戦史編纂にとりかかっていました。
竹田宮大尉は、机上に積み上げられた資料の山を渉猟し、事実関係を整理し、関係者の証言を聞きました。そうするうちに重要なことに気づきます。
(わが陸軍には統帥上の欠点があるのではないか)
支那事変の当初、陸軍は支那事変を拡大させないことを基本方針としていました。にもかかわらず、支那の戦線はドンドン拡大し、いまや日露戦争に数十倍する大戦争になっています。
(なぜだ。なぜそうなったのか)
そこにこそ最高統帥上の問題があると竹田宮大尉は思いました。ひとり竹田宮大尉にとどまらず、この問題は陸軍共通の疑問と言ってよいものでした。竹田宮大尉は、つよい問題意識とともに戦史編纂の作業を進めていきます。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-02-25 03:53:41
52646文字
会話率:25%
人生の最終盤になって大仕事をやり遂げた人物がいます。鈴木貫太郎です。
幕末に武士の子として生まれた鈴木貫太郎は、海軍に奉職しました。日清、日露の戦役に参戦し、連合艦隊司令長官と海軍軍令部長を歴任し、海軍軍人として位人臣を極めて退官しまし
た。その後、侍従長となって昭和天皇の御側に長く仕え、さらに枢密院議長として余生を過ごしていました。このまま平穏に人生の幕を閉じても不思議ではないところです。
しかし、時代は大東亜戦争の終盤でした。日本が滅亡しかねない状況です。運命は、この人物に終戦という大任を背負わせました。
昭和天皇に諭されて鈴木貫太郎はついに総理大臣になります。とはいえ政治経験は皆無です。政治的な人脈もありません。国内では主戦論が大勢を占め、軍部は本土決戦を呼号していました。これに対処すべき鈴木貫太郎はすでに老齢であり、しかお耳が遠く、組閣さえ他人任せでした。
それでも鈴木貫太郎は、困難な政治調整を御聖断という奥の手でまとめあげ、ポツダム宣言を受諾することによって終戦を達成しました。この間、わずかに四ヶ月の早業でした。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-02-04 04:05:43
102357文字
会話率:33%
山本五十六(やまもといそろく)が海軍兵学校を卒業したとき、日本は日露戦争の最中でした。五十六は戦艦「三笠」乗り組みを命ぜられ、日本海海戦に参戦しますが、不幸にして五十六は重傷を負ってしまいます。しかし、その病床で五十六は日露戦争の勝因を深
く考究することができました。
日露戦争後、日本の外交環境はしばらく良好でした。日英同盟、ロシアとの協商、アメリカとの友好などがあったからです。しかし、時勢の変転は早く、ワシントン条約によって成立した太平洋の平和も長くは保ちませんでした。
山本五十六が連合艦隊司令長官になったとき、日本の戦略環境はきわめて厳しい状況となっていました。なかでもアメリカとの対立が深刻化していました。アメリカが対日石油輸出禁止措置をとるにいたり、日本海軍は対米戦争を本気で考えざるを得なくなり、作戦研究が日々続けられました。五十六も懸命に必勝の策を考えつづけます。しかし、きたるべき対米戦争には非常な困難がともなうと予想され、結局、必勝の策は見つかりません。とはいえ、南方資源地帯を確保するための第一段作戦に限れば勝算がありました。南方作戦支援のため、五十六は自身が錬成してきた空母機動艦隊を使って真珠湾を奇襲攻撃すると決心します。
昭和十六年十二月、大東亜戦争が始まりました。真珠湾奇襲は成功し、英海軍の旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈することもできました。しかし、これはまだ序の口です。五十六はアメリカを屈服させるため、日本海軍の戦力が優勢なうちに、なんとしても決戦を求めようと部下を督励し、自身も骨身を削ります。そして、ようやく完整したのがミッドウェイ作戦でした。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-10-24 14:42:02
199966文字
会話率:29%
――晩御飯は幼気な少女でした!?
大学への進学を切っ掛けに一人暮らしを始めた日露ハーフの青年、鍋島錬。
気分転換から始めた自炊に夢中になった彼は、ふとなんとなしに母親の味であるビーフストロガノフを作ろうと考えた。
それらしい具材を鍋
に放り込み、朝の内に保温鍋にかけて――帰宅後。
クタクタの身体で錬が鍋のふたを開くと、なんとそこには角の生えた幼女が収まっていた!
自らを魔導兵器と名乗る少女。
そして次から次へと現れる、わけの分からない連中。
はてさて、意図せず危険な世界に迷い込んでしまった主人公の行く末はどうなることやら?折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-02-20 09:05:12
149086文字
会話率:45%
これで私の200作目の作品となります。これも皆様のお陰です。
今後ともよろしくお願い致します。
キーワード:
最終更新:2021-01-24 11:01:02
297文字
会話率:0%
無念の死を遂げた反米の指導者たち。その中の一人の石原莞爾が転生した先は、19世紀の幕末だった。
石原は北越戦争で自身の尊敬する軍人の河合継之助と共に旧幕府軍・奥羽越列藩同盟を指揮して、北越戦争を勝利に導き、日本を江戸幕府主導の近代改革に着手
させた。石原と河井は日本の軍制改革で派閥形成を阻止して、藩閥政治を防いだ。やがて、日本は日露戦争を経て、仮想敵国のアメリカとソ連との戦争に備えるようになった。日本は石原を中心に五族協和とアジア・アフリカの解放を目指した。
一方、アジア・アフリカにはそれぞれ反米指導者が転生して、日本の石原と共に協調して、欧米諸国の植民地帝国との真なる戦いに直面するのだった。
果たして、勝負の行方は!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-12-26 21:38:09
1158文字
会話率:45%
明治時代末期。日露戦争の話題で国中がもちきりになっているときに、ボクは幕末の維新志士とこの戦争にかかわる奇妙な噂を耳にした。いても立ってもいられなくなったボクは歴史に詳しい先生に聞いてみることにした。
ところが、先生にとってもその噂はひ
とごとではなかった。涙を流して懺悔する先生にボクの心は揺さぶられた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-12-21 12:46:27
906文字
会話率:50%
ある日下駄箱に入っていた手紙。覚えはない。ヤンデレの定義通り書いてみた。
最終更新:2020-12-09 15:22:32
245文字
会話率:0%
日露戦争当時の戦艦『敷島』等10隻の近代化改修プランが柊造船に持ち込まれる。
社長である柊華香は熟考の上それを引き受ける事に。
もちろん頼まれたまま改修する訳がなく…
最終更新:2020-11-04 11:11:51
14233文字
会話率:54%
大昔に仮想戦記掲示板に投稿したものを微修正して投稿します。
以下は当時の序文です。
完全に思いつきで、徒然なるままに書いております。
一応日露戦争の終わりまではなんとなく考えていますが、
戦後処理などまでは考えておりません。つまり行き当た
りばったりです。
それでもよろしければ、駄文ですがお付き合いください。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-09-22 02:04:47
864文字
会話率:0%
2年半ほど前に地中海東部クレタ島のミノア文明の遺跡から発見された古代文字「線文字 A」に関し、日本語が書いてあるのでは、との問題意識で研究を始めました。迂遠な話ですが今では確信に至り、遠い先祖の供養を兼ねて作業を続けています。この上なく達成
感を伴い、精神衛生に有益なので巣ごもり時代の切り札です。
英国のアーサー・エヴァンズ卿がクレタ島でクノッソス宮殿の発掘に携わったのは20世紀初頭で、日露戦争(1904~1905年)の真っ最中。日本人の集合的無意識は、古代のメモリーを何処かに携えている筈です。日英同盟もあり、英国関係者がミノア人の遺跡を発掘した事は、当時の国民的な士気高揚に貢献し、その帰結がポーツマス条約であり「一等国」日本の誕生だったかも知れません。
研究の進展は速く、まるでコロナ危機に直面する子孫のために遠い先祖の霊が蘇り、日本語のルーツを指南してくれているかの様。日本の立ち位置が、アジア太平洋と「西側」と両方にある理由も良く分かります。
ついては応援どうぞ宜しくお願い致します。(お蔭様で去年は台風が上陸しませんでした)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-24 10:48:53
5904文字
会話率:0%
日露間の領土問題に関し、冷戦以降、近年の展開を追ってみました。
最終更新:2018-12-23 15:10:25
23693文字
会話率:0%
日露両国間の領土問題に関し、沖縄返還に至るまでの歴史を振り返りました。
最終更新:2018-12-23 14:32:31
32028文字
会話率:0%
日露戦争は日本の勝利に終わった。だが戦費は国家予算の60倍にも及んだ。当時(1905)の政府歳入は4億円。戦費は20億、その5倍を費やしたのだ。もう一歩も兵士は動けなかった。砲弾も銃弾も燃料も底を突いていた。
大阪砲兵工廠の製造能力を越え
た戦闘消費が原因だった。
そのため砲弾は海外から買わねばならなかった。
海戦に必要な戦艦も全て外国製で、輸入が必要だった。
講和会議は極めて不利な条件で行われた。ロシアはその領土を1mmたりとも失っていない。ウラジオストクを攻撃すれば条件は変わったろう。だが戦闘継続はすでに不可能だったのだ。
日本が江戸時代に鎖国して、ペリー来航で開国した250年間。その250年に渡る技術停滞はあまりにも長かった。大政奉還から日露戦争に至るまでの37年間では取り返せなかった。国産技術がまだ実践に耐えるだけの水準に達していなかったのが原因だ。
明治政府の肝煎り、官営釜石製鉄所は操業から2年で廃業している。技術不足、燃料不足、粗悪なコークスが原因であった。
これを全部ひっくり返して、37年間で250年を取り戻す!
材料組織学を必死で学ぶサムライたち。
国産技術で戦艦、大砲、砲弾、奇想兵器を大量生産するのだ!
多段階熱間鍛造を必死で実践し、油冷処理に挑戦した。
日露戦争で日本はどこまで行けるのか、ニコライ二世の運命は変わるのか?物語はペリー来航の10年ほど前、アヘン戦争の頃の埼玉から始まる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-11 08:00:00
166974文字
会話率:22%
陸軍親独派の起こしたクーデター失敗によって日露戦争以来、1926年19年ぶりに政権を奪還した海軍は、遅れを取り戻すためこれまでの陸軍のように海軍以外の予算はほぼ無視して大軍拡を行なった。途中、訪れた大恐慌もアメリカに習って大規模な公共事業(
軍拡)による雇用確保を行い早くに脱却。さらに第二次世界大戦中、ドイツの黄色人種差別に難色を示していた大日本帝国は最終的には天皇の意向によって連合国側参戦し地中海を我が物顔で支配する枢軸国に倒して41糎砲12門を搭載する新型の長門型戦艦2隻と旧式ではあるものの38糎砲12門の扶桑型戦艦2隻に蒼龍型航空母艦2隻の計6隻(護衛艦は英国海軍が手配)を派遣した。地中海でのドイツ、イタリア海軍との死闘の中、第一次世界大戦時以上の好景気に沸いていた日本では、有り余った資金と工場、造船所、資源をもって次々と最新鋭の艦船が建造されていた。これは1944年、八八艦隊計画の13番艦として妹の下総と共に就役した最新鋭高速戦艦上総とその他の帝国海軍の精鋭艦たちが繰り広げる激しい戦いを描いた架空戦記である。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-10 17:00:00
38504文字
会話率:35%
維新により徳川幕府は解散し、大日本帝国は立憲君主制、並びに世界に先駆けた完全男女平等を掲げる国へと代わって行った。そして月火は流れ、世界列強の一国に数えられるほどの国力を付けた大日本帝国は、日清日露、日中と戦争を勝ち、一気にその力を増して行
った。それを面白く思わない西側諸国との軋轢が高まり、一触即発の状態にまでなって行った。
その中で、大日本帝国海軍は航空機の重要性に世界でいち早く気付いていた。海軍省は航空母艦とその艦載機の改良・増産を急ぎ、また、対空兵力の増強も急務となっていた。
皇歴2699年4月、西側諸国の圧力も強まり、開戦やむなしの空気が帝国中に蔓延している中、最新鋭防空巡洋艦「毘沙門」に配属された新兵「寺内早苗」は、今までの常識では理解できない上官「木下藤次」の指揮下の元、その才能を開花させていく。
訓練も最終段階に入る皇歴2700年3月。いよいよ開戦間近と思われる頃、防空巡洋艦「毘沙門」首脳部に出撃命令書が届く。その目的地はハワイ。パールハーバー襲撃に合わせ、「毘沙門」は空母護衛任務に就く。出撃は12月1日。日に日に「毘沙門」内、並びに帝国内に緊張が高まっていく・・・。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-11-11 02:23:03
1388文字
会話率:43%
難攻不落と言われたロシア・旅順要塞
奇想天外なアイデアが大好きだった長岡外史少将の発案でフクロウが攻撃に参加することが決まった。
さて結果のほどはいかに?
読み切り短編です。
最終更新:2019-10-04 17:41:03
4523文字
会話率:40%
明治37年に開戦した日露戦争。
その影の立役者として「児玉源太郎」の名前を知る人がどれほど日本にいるであろうか。
本書は幕末期の長州で生まれた児玉源太郎の数奇な運命と日露を開戦まで持って行き現場の司令官として奉天の会戦を勝利へと導いた児
玉源太郎の生涯について語ってみたい。
また陸軍大将としてではなく行政官として台湾をみごとに統治した彼の功績を知ってもらえれば嬉しいです。
まさに迫り来るロシアの牙から新生・日本を守るためだけに生まれたような児玉源太郎の生涯を知っていただければ幸いです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-02-20 15:46:10
74095文字
会話率:3%
1905年4月13日
日本海近辺で日本海軍と雌雄を決するべく最後の石炭と水、食料の補給のためにロシア最強のバルチック艦隊は同盟国フランスの領土であったベトナム・カムラン湾に入港した。ベトナムを統治するフランス政府の要求で石炭運搬の強制労働
を課せられたベトナム人漁師たちがこの作業の無意味さを知り、同じアジアの同胞である日本人を助けようとして2週間のサボタージュを含めてさまざまな妨害活動をした。この結果心身ともに疲労したバルチック艦隊は最悪のコンディションのまま決戦海域に臨むのであった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-29 10:19:26
137404文字
会話率:63%
1905年5月27日、日本海軍連合艦隊はロシア帝国海軍自慢の精鋭大艦隊を完膚なきまでに撃破した。
その一部始終を砲弾飛び交う戦場で見た男がいた。その男の名はマヌエル・ドメック・ガルシア、戦争当事国である日本でもロシアでもないアルゼンチンから
観戦武官としてやってきた海軍軍人である。この小説は彼が残した記録に基づいたものに脚色を加えたものである。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-09-15 19:17:46
10442文字
会話率:54%
魔力至上主義の月本国で、少魔力しか持たないカイ青年の前に、平行世界の日元国から、妹にそっくりの意識を失った少女が飛ばされてくる。少女と一緒に飛ばされて来た女神さまの話では、日元国は滅ぼされて、その時に、みんなを護るために、少女の魂が、7つに
別れて150年前に飛び散ってしまったらしい。妹によく似た少女の魂を集めて、意識を回復させると同時に、滅ぼされた日元国が滅びないように、歴史を変えるため、カイは、女神と一緒に過去の日元国へ旅立つ。そこで様々な偉人たちと出会い、カイ自身も成長していきながら、世界も良い方向に変わっていく物語。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-06-10 10:00:00
257069文字
会話率:12%