1905年4月13日
日本海近辺で日本海軍と雌雄を決するべく最後の石炭と水、食料の補給のためにロシア最強のバルチック艦隊は同盟国フランスの領土であったベトナム・カムラン湾に入港した。ベトナムを統治するフランス政府の要求で石炭運搬の強制労働
を課せられたベトナム人漁師たちがこの作業の無意味さを知り、同じアジアの同胞である日本人を助けようとして2週間のサボタージュを含めてさまざまな妨害活動をした。この結果心身ともに疲労したバルチック艦隊は最悪のコンディションのまま決戦海域に臨むのであった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-29 10:19:26
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