『詩の、翻訳ですか?』――私は驚いてしまった。彼の瞳が寂しそうに揺らいだ。緊張したようにテーブルのグラスを掴む手は、震えている。私の前にも何件か巡って、ことごとく断られてきたらしい。
『そう。方々を回って頼んでるんだ。もう、うちの国はおしまいだからさ、せめて文化だけでも残したくて。ほら、忘れ去られるのって、寂しいし、怖いじゃん』彼の故郷では内戦が相次ぎ、民族ごとに独立運動が行われていた。来年にでも、地図から名前が消えていてもおかしくない
。
『国の英雄でね、すっごく強くて、優しい人がいたんだ。馬の名手で、領土を山脈の方まで広げたり、身寄りのない人を引き取る施設を作ったり。で、これはその奥さんたち(彼の国は一夫多妻制なのだ)が書いた詩』私がメモまで用意して熱心に聞いているからか、彼は嬉しそうに話していた。
彼の話は、日が暮れても終わらなかった。その英雄の生い立ちや冒険譚を、妻たちとの出会いを、そしてその業績にどんなに国が救われているかも。窓辺から冷たい風が吹きつけるまで、彼は我を忘れたように語りつづけた。その硬そうな額には、汗が滲んでいる。「やってしまった」とでも言うような顔をしていた。
『あの、ごめん、遅くまで。失礼します。また、後日にでも電話で返事をもらえれば』
『お受けしますよ』
『……え?』
『この翻訳の話、お受けします。私でよければ』
驚きのあまり彼の細い目が真ん丸に見開かれるのが面白くて、くすくすと笑ってしまった。折りたたむ>>続きをよむ