【仮想戦記×異世界】奴らは月からやってきた
―喪われた戦争―
1941年、大日本帝国とアメリカ合衆国は太平洋の覇権をかけて一触即発の状況にあった。
合衆国主導の石油制裁により、窮地に陥った日本はついに状況を打破するため対米開戦を決断す
る。
太平洋の波濤を越えて、日本海軍はハワイ沖に空母機動部隊を送り込んだ。
現地時間12月7日、真珠湾に駐留する合衆国艦隊を奇襲するため、183機の攻撃隊が飛び立って征く。
しかし彼等の奇襲は未遂に終わった。
そこで彼等が目にしたのは、異形の怪物に蹂躙される合衆国艦隊の惨状だった。
その日を境に世界は回転した。
ドラゴンに、クラァケン、ヒュドラ……空想上の化け物が次々と出現し、人類は試練の時代を迎える。
※第七回ネット小説大賞の感想ピックアップにてご紹介をいただきました。
誠に有り難うございます。
※楽しんでいただけましたら感想・評価・ブックマーク等をいただけますと、幸いです。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-02-26 00:00:00
1056211文字
会話率:42%
海上保安庁が誇る、世界最大級の巡視船「しきしま」
対空レーダーすらも持つヘリコプター搭載型巡視船は、アメリカの沿岸警備隊との演習の為にハワイへ出発した。
しかし、ハワイ沖15km地点、急に全ての通信が遮断され…
目の前で行われていたのは、真
珠湾攻撃。
ハワイ島を飛ぶ零式艦上戦闘機の集まり。
その動きはどう見ても真珠湾攻撃だった。
1940年の世界でしきしまはどう動くのか折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-02-16 22:01:45
28483文字
会話率:70%
小学四年の自分が、敗戦から一年余り後の昭和21年10月に父の故郷である鳥取県境港市に戻ってきた。父は強制労働で満州で亡くなり、母と弟、妹との四人であった。明治期に大日本帝国を名乗った我が国は、西欧諸国の負けじと植民地を開拓した。満州はその一
つで広大な土地であった。
父は貧農の次男であり、日本に居ては土地は得られないので、満州での生活を指向した。我々家族は、満州に住み、自分は小学2年生まで満州の日本人学校に通った。しかし、日本軍はアメリカ海軍の拠点である真珠湾の多くの艦船を攻撃し太平洋戦争が始まった。しかし、潤沢な物量に恵まれているアメリカには勝つことはできなかった。この作品は、戦争に翻弄された私の家族の物語である。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-01-14 21:41:27
24559文字
会話率:5%
日本は80年前まで植民地を持っていた、台湾、朝鮮、満州などである。しかし、日本は、それらの植民地を太平洋戦争に敗戦し失ってしまった。欧米による植民地政策によりアジアが征服されようとしていたので、日本はアジア諸国を守るためハワイ真珠湾の米国艦
船を攻撃したことで始まった。(この見方は当時の日本政府や軍部の考えたもので、現在では様々な論点がある)
しかしながら物量の保有に大差のあるアメリカに負けてしまったのである。
この作品は、当時の植民地であった満州を背景とした物語である。この作品をお読み頂ければ、様々なご意見・ご感想が伺えるかも知れない。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-15 20:21:04
7387文字
会話率:3%
太平洋戦争。それは一九四一年十二月八日、大日本帝国の奇襲攻撃(真珠湾攻撃)によって始まった。最初は快進撃を続ける大日本帝国だったが、ミッドウェー海戦の大敗によって戦局は一変。日本軍はその後ずるずると敗退していった。それから起こったことは悲劇
だった。ガダルカナル島の戦い、硫黄島の戦い、東京大空襲、沖縄戦そして、広島と長崎への原爆投下。
大日本帝国は敗戦した……
しかし、勇ましく戦い続けた兵士たちの思いは現代でも語り継がれてれている……
この話は、そんな大日本帝国軍人の生まれ変わりたちが繰り広げるストーリーです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-09-29 19:31:13
138969文字
会話率:71%
合衆国が真珠湾攻撃直前にタイムスリップします。
合衆国の運命やいかに…!
※ストーリーの関係上、日本がボコボコにされる事が多いですごめんなさい
最終更新:2024-06-02 09:48:41
9131文字
会話率:23%
時は西暦1941年の日本を取り巻く状況は最悪と言っていい状態であった。
1931年、名将“石原莞爾”中将直々の満洲事変を切っ掛けに中国と泥沼状態の戦いに陥ると共に米国との関係も日が経つにつれて極端に悪化していた。
政府や軍部は最早、対米
戦争を回避できない事態を考慮して一撃必殺の作戦を以て米国に大打撃を与えて早期講和を締結してこの泥沼の状況から脱しようと考えていたのである。
その一環として最初における作戦として連合艦隊司令長官『山本五十六』大将提案の真珠湾上陸作戦及び米国本土上陸作戦が採用されて現時点での最新鋭空母を含む大機動部隊を投入する事が決定される。
だが、その作戦に石原莞爾がとんでもないことを新たに提案してくる。
そこから新たな歴史のイチページが開かれることになる。
昭和16年11月28日、択捉島単冠湾から『南雲忠一』中将率いる第一機動部隊が出航する。
航空母艦“赤城”“加賀”“蒼龍”“飛龍”“瑞鶴”“翔鶴”
戦艦 “比叡”“霧島”
巡洋艦 “利根”“筑摩””阿武隈“
駆逐艦 “谷風””浦風””浜風””磯風””陽炎”“不知火”“霞”“霰”“秋雲”
艦載機 350機
日本陸軍3個師団を満載した大輸送船団と共に……。
ここから新たな歴史が記されていく。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-03-21 22:02:49
201680文字
会話率:39%
ミッドウェーでの赫々たる戦果を認められ大佐に昇進した堀口明日香。イ201に新造艦二隻を加えイ200型潜三隻からなる新編成の独立第1潜水戦隊の戦隊長となりハワイ封鎖に出撃する。ミッドウェーでの敗戦を機にアメリカ太平洋艦隊はハワイ真珠湾からサン
ディエゴに後退していた。ハワイ封鎖に出撃したもののそれだけでは面白くないので、ハワイ封鎖は残りの二隻に任せて、明日香の座乗するイ201は単独サンディエゴを目指した。『堀口明日香の仮想戦記その2、ミッドウェー海戦』https://ncode.syosetu.com/n9382hm/ の続編です。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-11-16 17:19:27
34304文字
会話率:39%
真珠湾攻撃だけでは生ぬるい。ついでに他でもどでかい作戦をやるべきだ。
そんなこんなで始まった豪州東海岸砲撃作戦。新時代の砲艦外交は何故だか変な方向に転がってしまう。
扶桑も山城もいらない子じゃありません
太平洋を縦断、横断した二つの投機的な
作戦が、戦争の趨勢に大きな影響を与えていく。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-08-05 00:02:54
7478文字
会話率:53%
1939年夏、梅雨の空気が陽光で吹き飛ばされる中結ばれた「日華平和条約」により大日本帝国と中華民国の間に平和が訪れた。
しかし、依然として国共内戦は続き、治安維持を名目として大日本帝国は再び中国大陸に鉄血を注ぎ込むことを決定した。
裏で蠢く
大国の影、真珠湾に響く警報、欧州情勢は複雑怪奇也───
「小国が生き残る為には何かに特化する必要があるが、何においても『一位』は超大国の特権だ、そうは思わんかね?」
『帝国』を名乗りし小国日本は亜細亜の盟主となれるのか
※ハーメルン様にも掲載しております→https://syosetu.org/novel/315838/
※大規模に史実改変をしているので、架空人物等が多数出没します。史実主義者の方はご注意ください。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-06-09 21:49:43
26202文字
会話率:36%
1939年、独逸が波蘭に進軍した事を皮切りに始まった第二次世界大戦。
そして1941年12月8日。日本海軍は真珠湾に空母機動艦隊による襲撃を敢行。
この攻撃から始まる太平洋戦争。日本は"混乱"へと突き進む…。
そんな情勢
に翻弄される一人のパイロットのお話。
注意
・100%史実…と言えば嘘になります…77%位と思っておいてください…。
・一部の人物名の変更がされています。
・資料不足により、色々曖昧な部分があります。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-05-16 00:11:46
2288文字
会話率:12%
昭和20年、かつては日本の領土であった北海道の北にある島「樺太」にソ連軍が押し寄せてきた。
日本の無条件降伏を無視して。
追い詰められた女性電話交換手たちは、敵兵に捕まり凌辱されることをよしとせず、次々と毒をあおって死んでいった。
彼女たちは「九人の乙女」と呼ばれた。
しかし、一人だけ死ぬことができなかった者がいた。
卑怯者の汚名を着せられた彼女は、その後の人生をどう生きたのか。
そして彼女の前に一人の男が現れる。
彼も「死ぬことができなかった10人目」だった。
人間の命が空気より軽い。
そんな時代をたった一人生き残ってしまった者の声に耳を傾けてください。
「小説家になろう」、「エブリスタ」の両方に同一タイトルで掲載。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-01-05 06:00:00
23011文字
会話率:40%
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読
によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-12-11 12:15:14
190960文字
会話率:17%
大平洋戦争
日本の歴史の中でも好きな人は好きな時代だと思います。
この戦争は、私は、日中戦争からはじまっていると考えていますが
正式には、日本の無宣戦布告攻撃である真珠湾攻撃から始まったものだとされています。
日本の快進撃で始まったこの戦争
ですが日本軍の重大なミス例えば、ミッドウェー海戦とかですね
それにより日本は、一気に力を落としてしまいました。
段々と力が弱まっていく日本に追い打ちを掛けるようにさらなる敗北を圧倒的な敗北を何度も期してしまいます。
大平洋戦争の末期には、まともに物資がなく人肉すら食べていたと言われるほどの状況になっていました。
その中で、ペリリュー、ガダルカナル、アッツ、サイパン、グアム、硫黄島等の数多くの激戦を戦い抜きました。
上記の例は陸戦だけですが海戦も例えばレイテ沖海戦等の激戦があります。
ですが、このお話は陸戦なので抜きました。
この物語は、もしかしたら上記の島、上記以外の島であったかもしれない、いたかもしれない男の物語です。
グロ注意折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-10-22 01:05:31
3251文字
会話率:7%
世論て何?正義なの?戦前はあやつられてからの真珠湾ですよ?
キーワード:
最終更新:2022-09-07 14:08:32
977文字
会話率:0%
第二次世界大戦にてナチスドイツは春のバルバロッサそしてノルウェーを橋頭堡としたイギリス上陸により戦勝した。
欧州に置いて、フランス・イギリス・ソビエトと言った国家は破壊したのだ。
イタリアはドイツ降下猟兵がジブラルタルに降下することでイギリ
スはアフリカに武器や食料などといった備品の輸送が困難となりそこをイタリア軍が進行、スエズ運河を制圧した。
欧州が血に染まる中、アメリカは大日本帝国との大海戦にて困難を極めていた。
この世界では真珠湾攻撃にて石油タンクは全て破壊。米空母艦隊も撃破されていた。
日本の連続的戦勝にはアメリカは戸惑いを覚えた。
しかし、星条旗の下には世界1位の工業が広がっておりその力は大日本帝国の連勝を無意味とするものであった。
ハワイにて再建された米海軍と日本軍が硫黄島で衝突すると、結果は日本の辛勝。
1945年7月4日、日本軍の航空基地からドイツの戦略爆撃機が青空の広がる朝八時に飛来した。
ホノルルが強い光と熱に包まられた数分後、そこには腕足が硬直と黒く焦げた死体の衆に肘から腕の皮膚を垂れ下げた人々。そして喉の乾きを潤す為に焦げた死体の浮かぶ川の水を飲む子供が居た。
ハワイに存在した人々と米海軍基地が消滅した後、アメリカは無条件降伏した。
枢軸国が戦勝したのだ。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-05-30 10:38:31
3894文字
会話率:54%
アメリカ国内の混乱により石油の禁輸措置が大幅に遅れ、その間に日本は全力を懸けて軍事産業の成長に力を入れる
混乱により史実より工業的成長が遅れたアメリカと史実以上の工業的成長を遂げた日本
かくして、史実から遅れること一年後の1942年12
月8日
南雲艦隊は真珠湾に奇襲攻撃をかけるが、その裏では山本五十六長官のアメリカ主力艦隊壊滅以上の大きな目的が遂行されつつあった。
二つの国がぶつかり合うとき、今、戦艦大和を越える決戦兵器が咆哮する…折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-04-12 00:00:00
153298文字
会話率:32%
日本のマスコミが絶賛褒め殺し中のウクライナのゼレンスキー大統領の日本国会での演説。
その内容をネット・新聞で聞いたり・読んだり要旨を確認したのだが。
ええとコレそんな感動してホメまくるような内容なの?なんか無味感想な賞賛と日本へのイヤミとも
嫉妬ともいえる表現ありまくりなんだけど。前回米国では露西亜の侵攻は真珠湾だって。
こうなったらツッコミまくるしかないだろ。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-03-25 23:00:00
2243文字
会話率:0%
もしも、真珠湾攻撃が大成功していたら?
架空戦記でよく見る設定であるが、それと同時にマレー作戦が大失敗していたらどうなのだろうか。
同じ日に行われた作戦の結果が逆転した世界で戦後日本がどうなるかのお話。
この作品は架空戦記創作大会20
22冬参加作品です。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-03-04 00:10:28
6331文字
会話率:0%
大東亜戦争開戦時の海軍軍令部総長は永野修身(ながのおさみ)大将でした。
永野修身大将は、国策の最高意思決定機関たる大本営政府連絡会議に出席して国政の方針決定に参画しました。同時に、軍令部総長として海軍作戦の立案を監督しました。開戦劈頭の真
珠湾奇襲を構想し、推進したのは連合艦隊司令長官の山本五十六大将でしたが、その作戦を最終的に決裁したのは軍令部総長永野修身大将だったのです。
帝国海軍史上、海軍大臣と連合艦隊司令長官と軍令部総長を歴任した人物はたったひとりです。それが永野修身でした。
これほど出色の提督でありながら、戦後日本では永野修身大将のことが語られることはほとんどなく、評価もされていません。これは戦後日本の歪んだ言論を象徴する異常な事態です。
語られざる提督の実像はどのようなものだったのでしょうか。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-01-31 01:33:31
18513文字
会話率:18%
フランクリン・ルーズベルト大統領は、世界恐慌からニュー・ディール政策によって経済を建て直し、第二次世界大戦では全体主義と戦い、自由と民主主義を守った政治家と評価されています。
しかし、不審な点も多々あります。演説や炉端談話で訴えていたこと
と、実際に推進した政策が矛盾していたり、民主制度を有していた日本を全体主義と決めつけたり、ドイツと日本に対して執拗な戦争挑発を繰り返したりしたからです。
なかでも最大の疑問は、ソビエト連邦への異常なまでの接近と支援です。
歴代のアメリカ大統領は共産主義を警戒し、ソビエト連邦の国家承認を却けていました。それをルーズベルト大統領はいとも簡単にひるがえしてソ連を国家承認し、以後、対ソ宥和策を推進しました。また、独ソ戦争が始まると、自国の防衛を後回しにしてまで大々的な対ソ支援を実施しました。さらに、大統領は再選までというアメリカの不文律をいとも簡単にやぶって四選を果たしました。
「自由と民主」を口にしながら共産主義独裁国家に接近し、アメリカの伝統を壊したという事実は、隠しようもありません。いったいルーズベルト大統領の正体とは何だったのでしょうか?
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-03-30 07:08:06
51082文字
会話率:33%
山本五十六(やまもといそろく)が海軍兵学校を卒業したとき、日本は日露戦争の最中でした。五十六は戦艦「三笠」乗り組みを命ぜられ、日本海海戦に参戦しますが、不幸にして五十六は重傷を負ってしまいます。しかし、その病床で五十六は日露戦争の勝因を深
く考究することができました。
日露戦争後、日本の外交環境はしばらく良好でした。日英同盟、ロシアとの協商、アメリカとの友好などがあったからです。しかし、時勢の変転は早く、ワシントン条約によって成立した太平洋の平和も長くは保ちませんでした。
山本五十六が連合艦隊司令長官になったとき、日本の戦略環境はきわめて厳しい状況となっていました。なかでもアメリカとの対立が深刻化していました。アメリカが対日石油輸出禁止措置をとるにいたり、日本海軍は対米戦争を本気で考えざるを得なくなり、作戦研究が日々続けられました。五十六も懸命に必勝の策を考えつづけます。しかし、きたるべき対米戦争には非常な困難がともなうと予想され、結局、必勝の策は見つかりません。とはいえ、南方資源地帯を確保するための第一段作戦に限れば勝算がありました。南方作戦支援のため、五十六は自身が錬成してきた空母機動艦隊を使って真珠湾を奇襲攻撃すると決心します。
昭和十六年十二月、大東亜戦争が始まりました。真珠湾奇襲は成功し、英海軍の旗艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈することもできました。しかし、これはまだ序の口です。五十六はアメリカを屈服させるため、日本海軍の戦力が優勢なうちに、なんとしても決戦を求めようと部下を督励し、自身も骨身を削ります。そして、ようやく完整したのがミッドウェイ作戦でした。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-10-24 14:42:02
199966文字
会話率:29%
真珠湾、単冠湾に集結した新一航戦はハワイへと進軍する
史実とは異なる世界が今動き出そうとしていた
最終更新:2021-12-30 00:06:16
32103文字
会話率:38%