時は西暦1941年の日本を取り巻く状況は最悪と言っていい状態であった。
1931年、名将“石原莞爾”中将直々の満洲事変を切っ掛けに中国と泥沼状態の戦いに陥ると共に米国との関係も日が経つにつれて極端に悪化していた。
政府や軍部は最早、対米
戦争を回避できない事態を考慮して一撃必殺の作戦を以て米国に大打撃を与えて早期講和を締結してこの泥沼の状況から脱しようと考えていたのである。
その一環として最初における作戦として連合艦隊司令長官『山本五十六』大将提案の真珠湾上陸作戦及び米国本土上陸作戦が採用されて現時点での最新鋭空母を含む大機動部隊を投入する事が決定される。
だが、その作戦に石原莞爾がとんでもないことを新たに提案してくる。
そこから新たな歴史のイチページが開かれることになる。
昭和16年11月28日、択捉島単冠湾から『南雲忠一』中将率いる第一機動部隊が出航する。
航空母艦“赤城”“加賀”“蒼龍”“飛龍”“瑞鶴”“翔鶴”
戦艦 “比叡”“霧島”
巡洋艦 “利根”“筑摩””阿武隈“
駆逐艦 “谷風””浦風””浜風””磯風””陽炎”“不知火”“霞”“霰”“秋雲”
艦載機 350機
日本陸軍3個師団を満載した大輸送船団と共に……。
ここから新たな歴史が記されていく。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-03-21 22:02:49
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