人は大切な人を
大切な物を
大切な事を
奪われて初めて気付く
そんな生き物だ。
ー2011年3月11日ー
中学3年の卒業式を明日に控えていたあの日
俺達の町を襲った大地震。
後に東日本大震災と呼ばれたその地震は、一瞬にして平凡だった俺
の人生から何もかもを奪って行った。
いくら後悔しても、あの幸せだった頃の時間は戻ってはこない。
なぁ、真奈。
お前は今どこにいるんだ?
お前に伝えたい言葉があるんだ。
俺、馬鹿だったからさ、失って初めて気付いたんだ。
俺はお前が好きだったんだって。
会いたい。
会いたいよ、真奈――
これは、東日本大震災を題材に、一人の中学生の男の子が歩んだ、10年間の物語。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-11-20 12:23:35
132385文字
会話率:50%
令和6年能登半島地震で心を痛めたあなたに提案したい支援方法を伝授する。東日本大震災で被災した書き手が、実際にやってみた方法から伝授します。手軽なものから覚悟が必要なものまで3つの間接的支援方法を書きだしました。子供から大人まで誰でもできる支
援方法です。今必要なのは、あなたの笑顔です。笑顔が支援になります。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-01-06 09:13:01
1898文字
会話率:0%
二年前に地震に関するエッセイを書いたのですが、続きが浮かんだので書きました。
前回のエッセイと被る部分があります。
カクヨムに掲載しています。
最終更新:2024-01-04 13:28:48
8561文字
会話率:12%
10年たって、ようやく細かく整理できるようになったので備忘録です
最終更新:2021-03-11 19:51:27
3129文字
会話率:4%
東日本大震災の被災地を訪問した記録を、日記風にまとめました。
以前発表した、「東日本大震災 体験日記 ~小さな被災地~」の続きのようなものとお考え下さい。
最終更新:2022-12-27 02:00:29
16340文字
会話率:4%
東日本大震災発生時、筆者が記録していた10日間程の記録をまとめました。
甚大な被害を受けた地域が多くある中、被災地とすら呼べないような地域ではありましたが、
普段体験することのない非日常の世界が、間違いなくそこにありました。
少しだけ日
常と異なる日々の様子をご覧いただけたらと思います。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-08-21 00:28:27
17903文字
会話率:3%
2012年3月11日。三陸沿岸Z市。慰霊祭のネット配信のため、東京からボランティアで訪問した僕こと山本。1年間のボランティア活動で知り合った地元の青年アツシさんと、ひょんなことからドライブすることになる。
「14時46分のサイレンから逃
げよう」
アツシさんの運転する軽自動車は、高台の山中へと逃げ始めた。
※この作品には阪神淡路大震災、及び東日本大震災に関連する内容が含まれます。ご気分が悪くなる可能性がございますので、ご注意下さい。
※当作品は作者の体験を元にしていますが、登場人物や出来事は全てフィクションです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-03-11 16:52:00
4808文字
会話率:33%
真っ白い世界にあの日辿り着いた。
東日本大震災から10年。
辿り着いた先で新しい生活を始めた。
思い出のある家は地震で壊れて、今年とうとう解体した。
亡くなった祖父は、どちらの家に行くのだろう。
寂しくないように、代わりに雪だるまを置いてお
くよ。
初日の出の温もりは、祖父を思い出させた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-12-31 16:00:00
1000文字
会話率:10%
主人公で心理カウンセラーの倉田学と解離性同一性障害(二重人格)の病を持つ木下彩を中心に、銀座ホステスのママやお店の子(ホステス)、そして新宿歌舞伎町ホストクラブのホストなど、それぞれ自分の過去を引きずり生きている。またそれは主人公で心理カ
ウンセラーでもある倉田学も同じだ。
この話は心理カウンセラーの倉田学を中心に、解離性同一性障害(二重人格)の病を持つ木下彩とのカウンセリングを中心に話が展開していく。そして彼女の中のもうひとりの人格は彩とはまるで違い、学も最初は彼女の豹変に驚き戸惑った。
しかし学は次第に、最初に彼女に会った時の「明朗でおしとやか」と言う彩に惹かれて行く。そして、もうひとりの人格のひとみに対して、自分の手で木下彩の人格と綾瀬ひとみの人格をカウンセリングにより統合させて行くことに対し、こころ苦しい気持ちが湧き起こっていった。(第二部)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-10-03 16:46:47
243119文字
会話率:67%
関東大震災を基にした作品です。
そのせいか、第一稿を書いている最中に阪神・淡路大震災が起きたり、サルベージ中に東日本大震災が起きたり、地元が震度5で被災したりと、とにかく地震・震災に深い因縁があります。
なお、一部大正時代の頃の文語体綴りで
書いていますが、文法等正確性に欠けていますので、予めご承知ください。
また、主人公の名前が作者名と被りますが。ペンネームを用意する必要に迫られたとき、当時書きかけのものから彼らの名を急遽借り受け…そのまま今に至るという…ごめんなさいな事情なので、突っ込まないでやってください <m(_ _)m>
盛夏を過ぎたとある夕刻。大学生のさいかと隣室の美大浪人みしろは、友人を待ちながら花火を始めていた。
次第に興が乗り、徐々に派手な花火に移行しつつあるところに遅れてやってきた友人は、金木犀の小枝を差し出す。
その花の香りに、見知らぬ、けれど懐かしい記憶が溢れた。
浅草凌雲閣で、「私」は「十二階の乙女」と再会の約束を交わした。
その僅か数日後、帝都が激震に襲われることを知らずに。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-09-01 19:55:58
18671文字
会話率:12%
阪神淡路大震災から学ぶ"父"の姿
最終更新:2021-05-11 00:05:17
1256文字
会話率:0%
2011年3月11日午後14時46分頃。
三陸沖で発生したマグニチュード9.0の大地震『東北地方太平洋沖地震』による災害である『東日本大震災』。
これは10年前の当時の経験したことを少しでも残したいと思い、発生からひと月の間に起きた主だった
ことを作者の視線でまとめたものです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-03-11 15:00:00
7752文字
会話率:0%
2011年3月11日。三坂逢子は自宅で震災に見舞われた。
家族の無事を知った逢子は安堵したが、過去、自分が体験した地震のことを思い出す。
のちに阪神淡路大震災と呼ばれる大震災のことを。
時は1995年1月17日。逢子は神戸で生涯で一番、衝撃
的な10日間を過ごした……。
東日本大震災・阪神淡路大震災を通して、逢子はいったい何を失い、何を得たのだろうか?折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-01-20 14:58:33
65907文字
会話率:43%
2011年3月11日、14時46分。未曾有の大災害が東日本を襲った。
あれから10年を迎えるに当たり、誰も知らなかった事実が語られる。奇跡的に、一軒残った家の作者が使命感を胸に、心の底から絞り出した魂の叫びを様々な思い出と共に紡ぎ出した。
キラキラとした島越の海の記憶と、全てを奪った大津波。涙と希望の記憶である。
書かずにはいられない。読まずにはいられない。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-07-23 15:00:00
8136文字
会話率:0%
2011年3月11日・東日本大震災の日、谷川智子は2年前に亡くなった
亭主の事務手続きの書類に不備が見つかったと役所から連絡があり橫浜市役所
と神奈川県庁に行き、担当部署を回り処理し2つの部署で完了の確認をもらった。
その後、亡き、亭主との
思い出の山下公園を巡った。その時、向かいの少し
離れたベンチに座っていた初老の男性が「やー久しぶり」、元気と声をかけ
て来た。それでも、思い出せない。すると、
「俺だよ、俺、M中学の時、一緒だった、滝山恒夫だよ」と言った。
聞けば、仕事でアメリカに渡りアメリカ人女性と結婚したが仕事で日本に
帰って来る時、アメリカを離れられないと言われ、離婚したと言った。
そんな話をしていた午後3時前に急に地面が揺れ出し大きな地震が起きた。
その時に滝山恒夫が、こういう時は、安全で広い場所、そー、ここなら、
パシフィコ橫浜へ行こうと歩き出した。途中のコンビニで食べ物、飲み物を
買いパシフィコ横浜に入った。その後、夜10時過ぎに地下鉄が動き出した
との情報を聞き、みなとみらい駅へ行き、新横浜へ向かった。そして谷川智子
のマンションに入ると食器が散乱していたので、滝山が、かたづけて都市ガス
を使える様にしてお湯を沸かし、食後、風呂に入り、泊まった。翌日、滝山が
勤務してる会社の仙台営業所に連絡すると、橫浜営業所に出社しろと言われ、
橫浜営業所、勤務となった。その後、滝山は昔、好意を持っていた谷川智子に
求婚し、結婚を受諾してもらった。その後、日本国籍をもどし米国に残した
財産を精算した。その後、2人で新潟、北海道を旅した。その後、同窓会を
企画し旧友との親交を深めた。その後、谷川智子の長男から経済的支援を
依頼され、智子が応じたが、その後も数回にわたり支援要請を受けて遂に
彼女の全財産を渡した。その後・・・。あとは、読んでのお楽しみです。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-05-13 17:34:58
20595文字
会話率:3%
祈ることしかできない無力な自分
最終更新:2019-01-16 05:18:32
276文字
会話率:0%
宮城県沖地震により孤児となった、ナナとユキ。
幼い頃をともに過ごしたふたりだが、中学を卒業すると別々の道を歩き始める。
ユキは宮城に残り、ナナは東京へと旅立った。
そしてナナは、東京の忙しない生活の中で、いつしか故郷を思い出すこともなくなっ
ていた。
あの震災が起こるまでは……。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-28 01:00:00
5953文字
会話率:38%
【はじめに】
初めましてAHIAです。
そもそもどうしてこの小説を書こうと思ったことについて話をさせて頂きます。
この『また君に初めての恋をした。』というのは恋愛小説ではありますが、もう1つ、自分の中でテーマがあり、それが【震災を忘れない】
ということです。
自分自身、震災があった日には東京にいて、東京でも相当な揺れがあり、さらに停電、交通網が機能しないなど非常に大変な状況でした。そしてテレビで見る東北の映像は衝撃的だったというのは今でも記憶に焼きついています。
もちろん当時は客観的に見ていたところがあり、大変だろうなという程度でした。しかし、東日本大震災について調べていく内に日本最大の天災であるということがわかり、そして動画サイトなどで見る当時の映像に比べてもさらに強い衝撃、またchouchouさんが東日本大震災をきっかけに作ったanathar dawnという楽曲を聴いて涙を流しました。
そして、昨今では大阪で起こった大阪北部地震、広島を中心とした西日本の広範囲に被害が出た西日本豪雨などの自然災害があり、こういったことは決して風化させてはいけないと考え、記憶に残す為にもこの小説を書くことにしました。
語彙力や学がないので稚拙な文章になってしまいますが、情報や実際に当時東北にいたという方などに話を聞いた上でこの物語を造りました。もちろん数ある有名な小説の中に埋もれてしまうかもしれないということは百も承知ですが1人でも読んでくれて、記憶に残り、そして日本で起こった天災を忘れないという思いが少しでも出てくれれば書いた甲斐があります。
では、ごゆっくりお読みください。
AHIA折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-24 19:00:00
43831文字
会話率:37%
あの日から500年後に始まる希望の物語
かつて日本を襲った大震災は遠い過去のものとなっていた。多くの街、そしてたくさんの命を奪った「海」は、今や、何もかも忘れてしまったかのように、広大な防災緑地の向こうに静かにたゆたっている。あれから50
0年。世界は何度となく様々な災厄を乗り越え、山々もその形を変え、国々もそのたなびく旗の色を変えたが、それでも子供たちは笑い、恋人は戯れ、母は我が子を抱きしめ、父親は汗まみれになって夕闇迫る帰途を急ぐ。しかし、不穏な足音は飽くこと無く一歩一歩近づいて来ていた。近年各地で起こっている、地殻の陥没を伴う特殊地震「巨人の足跡」。その特殊な地震は、ある法則性・連鎖性に基づき「終末点」をめざして地殻に多大なストレスを集約していることと判明した。「巨人の足跡―Titan’s Footprint―」の発見である。
佐藤 茂(さとう しげる) 宮城県出身
1997年に『競漕海域』で、第9回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞。
作品:
競漕海域 1997年12月発売、新潮社、ISBN 978-4104204014
∀ガンダムシリーズ (1999年 - 2000年、挿絵:萩尾望都、鶴田謙二)
1 初動
2 騒乱
3 百年の恋
4 火と月
5 月光蝶
Episodes
DEKU 親愛なる来訪者(挿絵:小菅久実) 2001年7月発売、角川スニーカー文庫、ISBN 978-4044229078
本作品は東日本大震災復興支援および地域振興に資する非営利活動の目的を以って執筆され、作者のご厚意により版権はせんだいみやぎコンテンツプロジェクト実行委員会(smcp)にあります。
2012年から2016年コミックマーケットにおいて、文庫本を同人頒布いたしました。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-09 00:20:07
405380文字
会話率:33%
はじめに、この物語は震災によって傷ついた心を表すだけの物語ではありません。
基本コンセプトは「人は人によって失った己を見出す」
そして人は一人きりでは生きて行けない。繋ぎ合わさる幾重もの心が支え合い一歩を踏み出す事が出来るように成長する人物
(キャスト)達を描写した物語です。
震災と言う恐怖。そして最愛なる人を失くした心のかけら……
互いに干渉し反発し、そして求め合いお互いにその一歩を前に歩む。
この物語は大きな二つの主軸なる物語。
この物語で……あなたのその一歩のお力になれれば幸いです。
◇◇
3.11あの日私のすべては失われた……
母親と二人暮らしだった私、蒔野巳美は、あの東日本大震災ですべてを失った。
たった一人の家族だったお母さん。そして本当に私の事を想い見ていてくれた彼氏。あの日起こった津波は私のすべてを洗い流してしまった。
罹災した私は親戚をたらい回しされた挙句、秋田県大仙市へ来た。そこでの私の生活は孤独と言う言葉以外何もなかった。その孤独感は私の心を食い病み次第に震災の恐怖感を呼び起こす。
あの日、花火の日。出会ったあの人は、そんな私の心に陽の梯子をかけてくれた。
杉村将哉、彼は重度の「 PTSD 」 心的外傷後ストレス障害となった私の主治医(補佐)として私の前に現れた。
だがその彼もまた心に大きな傷と悲しみを抱いたままだった。
秋田県大仙市大曲で開催される夏の花火大会。
そこで出会う二つの傷ついた心。
赤く青くそして金色に夜空を輝かせる花火。その色々は瞬(またた)く間に変化していく。
そう私達の心の様に……
人は一人きりでは生きていけない。
人は支えられて、そして人を支えて生きている。
あの震災はもう過去の事になったが、その想いと教訓を忘れないために。
そして一歩を歩むために。
この物語は始まる。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-09-28 20:00:00
165589文字
会話率:30%
3·11東日本大震災より7年
いまだ消えぬ傷を引き摺りながらも、前に進もうとする不屈の日本人。
先日テレビなどで報道された、最も危険な大地震発生予測地帯はまたもや関東及び東日本の日本海溝隣接海洋プレートだった!
しかし、公開された
パネルに赤く示された危険地帯は7年前にも一度報道されていたのだ。三つあった危険海洋プレートの二つが同時に崩壊し、東日本大震災が起きた。そして、まだひとつ崩壊していない危険プレートが残されている。
自分自身の事はもちろん、家族や友人を守る為には正確な情報と政府の対応が必要であると日本人の誰もが知っている。今まで最も危険視されて来た『南海トラフ巨大地震』の脅威は消えぬが、新たに示された間近に迫る大自然の猛威に、我々日本人はどのように立ち向かえば良いのだろうか?
平成30年に公式発表された東日本大震災被害の実態の一部と、次に何処で大震災クラスの地震があるのかをこの文章に記す。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-07-05 07:40:31
5514文字
会話率:6%
メキシコの地震で、東日本大震災のことを思い出し作った詩です。
最終更新:2017-09-22 22:43:47
204文字
会話率:0%