ある世界のある国のある王都。
その都市は戦争賠償により栄華を極め、医院、学院、薬局、食堂を始め、様々な施設が乱立していた。
しかし、医院での医療ミス、学院での病原体漏洩、食堂での食中毒等、都市の衛生状況はまさにカオスと化していた。
そんな折
に転生者によってもたらされた、1冊の本。
「地域保健法」と書かれたその本は、地域の衛生を担う、ある機関の存在を示していた。
その機関の必要性を感じた国王の命令により設立されたのが異世界保健所である。
異世界保健所職員はどんな施設にも立ち入ります。
現在の立ち入り予定は
①浴槽水の検査で基準を超過してしまったエルフの娼館
②生のドラ刺しを提供して集団食中毒を連発する食堂
③一個師団の左半身だけを異世界に転生させた転生院
です。
これは、異世界の公衆衛生の監視、向上を使命とする異世界保健所のお仕事を伝えるパンデミックで不衛生な物語である………
※なお、現実の保健所と異世界保健所の業務は異なります。ご注意ください。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-05-25 19:21:47
85806文字
会話率:56%
実際に日常で起こったバラフライエフェクト。平和な空間が崩れる瞬間、君はどうする(日常)
読者様、感想聞かせてくれたら嬉しいです。今後の参考にしていきます。宜しくお願いします!
『本作は「すげどう杯企画」参加作品です。
企画の概要
については下記URLをご覧ください。
(https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1299352/blogkey/2255003/(あっちいけ活動報告))』
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-03-14 23:00:00
4280文字
会話率:15%
これはある男が英雄と呼ばれるまでの物語である。
20XX年、宇宙開発機関"White clover"通称W機関が開発したスペース回路によって人類の科学技術は類稀なる進歩を遂げていた。
そんな世界に一人、繭裂ア
ンリ〈まゆさき あんり〉という男がいた、彼は運の無い男だ、いや、運に見放されているといったほうが正しいか、とにかく彼の不運っぷりたるや、厄病神に寵愛でもされているのでは無いかと疑いたくなるほどだ、それもそのはず、彼がフラリと立ち寄った飲食店は集団食中毒が発生し、たまたま乗ったバスでバスジャックにあい、彼が新しく契約したアパートは入居1秒にして倒壊、本当に笑えるほどついていない。 しかし、彼は少しグレたりもしたけれど、なんとか前向きに生きていた、普通の生き方が出来ていたはずだった、今日会社の最終面接に向かうまでは…。
アンリが目を覚ましたのはどこか見知らぬ森の中の、そこには自分を捕食せんと狙う、獰猛な謎の生物の群れ、あぁ、自分は死ぬのか…。
そう思った矢先、彼は間一髪、窮地を免れた。
だけならよかったら
アンリが目を覚ますとそこには見慣れたアパートが、なんとアンリは日本に帰って来たのだったッ!!!!
無理やりおかしな世界に放り込まれた哀れな男繭裂アンリ、彼が"異世界"と"現実世界"二つの世界を交わらせた時この物語は始まりは始まる……。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-11-24 02:41:28
12937文字
会話率:60%
翌年に日華事変がはじまるとは、誰も想像もつかなかった昭和11年は、戦前最後の平和な年であった。その年の五月、県下有数の名門校である浜松一中では、恒例の大運動会が開催された。校長はのちにサッカー王国静岡の礎を築いた錦織兵三郎であった。名校長と
して生徒や教職員からも深く慕われていた。
運動会が終了すると、全生徒や教職員に紅白の大福もちが土産として配られた。製作した菓子司は浜松で有名な人気店であった。ところが翌日から、その大福もちを口にした生徒や、浜松に駐屯する兵士の間で、食中毒の症状が現れる。市当局の必死の調査にもかかわらず、食中毒の原因や病名が分からない。県や内務省の名立たる研究者や衛生技師が調査に当たるも、感染経路や原因は不明のままである。二日目になると、生徒たちやその家族から、続々と死者が報告される。浜松市内は恐怖のためにパニック状態となり、医師会や看護協会が巡回診療を始めるも、統一した組織を作ることができず、行き当たりばったりの施策は、ますます混乱を深めていった。
一方で、陸軍軍医学校防疫教室の石井四郎軍医正を中心としたグループは、事件発生当初から、サルモネラ菌(当時の言い方ではゲルトネル氏菌)による集団食中毒事件と判断し、早め早めに感染拡大阻止と、患者治療にあたっていた。そのために軍人の患者からは一人の死者も出すことなく、また二次感染も起こることなく収束していった。それに反して民間では、名古屋帝大法医学の教授が解剖を行うも原因が判明できず、食中毒説、薬物中毒説、果ては人為的な毒物混入説まで現れ、恐怖と不信感は浜松全体に及び、当局の対応が後手後手に回ったことにより、二次感染、三次感染と犠牲者は増加する一方であった。
最終的に、陸軍の提供した血清によって、この大惨事がサルモネラ菌による食中毒ということが立証されたが、市民の間には行政機関に対する不信感が深かった。患者総数二千人以上、死者四十四名を数えた浜松毒大福事件は、こうして六月近くになって、ようやく終息したのであった。
この作品は重複作品です。本文は小荷田歯科医院のホームページにあります。http://www011.upp.so-net.ne.jp/konita/kouhakunosaturikusha.pdf折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-06-09 16:39:50
44705文字
会話率:2%