太平洋戦争期にシベリア抑留を経験した元大本営参謀が現代女子高生の意識に入り込む話。
戦争を経験した世代もだいぶ遠くなり、忘れ去られようとしている戦争の記憶を現代日本人に伝えたいと思い、筆を執りました。
よろしければ、感想やレビューを頂けま
すととても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-10-14 10:00:00
10585文字
会話率:16%
祖父はシベリア帰還兵で、私にとっては優しい人だった。
令和になり、兵隊さんだった人を家族として、共に暮らしたことのある人も少なくなったと思う。遠くなった過去を終戦記念日を前に届ける。
最終更新:2023-08-10 16:05:06
5947文字
会話率:0%
氷点下の日に、祖父を想う。
最終更新:2023-01-25 12:52:36
1076文字
会話率:3%
終戦時、満州に取り残された一兵卒である下田信は、ソ連軍の銃撃を浴びながら機略縦横の逃走劇を演じ、危機一髪シベリア抑留を免れた。
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この作品は投稿者の祖父が残した
手記をデジタル化したものです。今日では差別的ないし不適切とされる語彙や表現が含まれていますが、執筆当時の時代背景を伝えるため、明らかな誤字以外は原文のまま掲載します。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-05-08 03:00:47
51139文字
会話率:2%
令和四年一月。約十年ぶりに実家に帰って母親と話をしていると、猫が寝ていた棚から、一冊の青いノートが地面に落ちた。
猫が落としたのか、それとも自然に崩れたのか、よくわからないまま。
それは、お見舞いに行った日、ヒマだと嘆くじいちゃん
に、病院の売店で買ってプレゼントしたノートだ。その日、僕は言った。
「ヒマなら、そのノートに自分史でも書けばいいよ。僕はインターネットで小説を書いてるんだけど、それも書けたらインターネットにあげてみんなに読んでもらおう」
その後すぐに仕事で忙しくなり、僕は小説を書かなくなった。ついでに、じいちゃんとそんな約束をしていたことをきれいさっぱり忘れた。
それから十数年、再び小説を書き始めた僕の前に、このノートは降ってきた。中を開くと、手書きの文字がびっしりと書き込まれている。
「あ、これはヤバいやつだ」
僕は約束を履行することにした。約束はみんなに読んでもらうところまで。
読んでくれなかったら棚から青いノートが落ちてくることになるので、是非とも最後までお読みください。
なお、差別用語、人名等登場しますが、当時の空気感を残すため、ちょっと削ってお茶を濁した上でそのまま掲載しています。
それが嫌だという方は、読まないようにお願いいたします。その場合は、青い本も落ちてこないでしょう。知らんけど。
※カクヨムに同時投稿しています折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-03-07 22:43:12
2705文字
会話率:4%
或る役人が残した苦役の記憶の手記。
晩年の彼は穏やかで、決して斯様な記憶を口にはしなかった。
然し、記録としてこれは残された。子々孫々と、直筆の手記が受け継がれた。
これは、彼が身に受けた動乱の、死せるまで胸中にしまい続けた激情の記録。
最終更新:2021-12-04 21:24:32
2352文字
会話率:0%
昭和二十年、派兵先の満州国で終戦を迎えた「僕」はシベリアに抑留される運命にあった。
もちろん当時はそのことを知らずにいたが、身のまわりに迫る不穏な空気を感じとりある決断をする。
実体験の手記をもとに脚色した短編作品(更新2回分)です。
最終更新:2020-11-27 22:00:00
2964文字
会話率:28%
お盆のお墓参りでは、白い団子を食べる習慣がある。
主人公は、その団子が大好きだった。
お坊さんの読経の間、25年前に亡くなったおじいちゃんから聞いた、ある話を思い出す。
それは、おじいちゃんがかつて好きになったロシア人女性、ナターシャの話。
そして、その話には主人公に関わる、大きな秘密があった・・・。
秘密とは何なのか?
主人公は、団子を食べられるのか・・・?
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-08-05 06:00:00
3926文字
会話率:47%
祖父は極寒に地シベリアより生還した。
孫に優しかった祖父。
楽しかった思い出しか語らず他界した祖父の本当のシベリア抑留を此処に記す。
現代にそぐわない表現などがありますが、祖父の手記を尊重しそのまま掲載します。
ご理解いただければ幸いです
。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-07-16 20:46:04
23719文字
会話率:9%
シベリア抑留された人の恐怖を創作した人物たちを通して、書きました。
最終更新:2017-01-08 01:57:34
876文字
会話率:45%
将来の方向性を考えあぐねていた夏都は、アメリカから来たアルクという青年と出会う。アルクは、戦後七〇年の夏に、祖父ハルクの思いを胸に、広島、北九州、長崎を巡る慰霊の旅をしていた。夏都は、アルクを、北九州市の空爆被害者慰霊碑へ、大分県日田市の
祖母の家へと案内した。そして、戦時中、ハルクと夏都の曾祖父姫山三五が親友であったこと、祖母の敦子がハルクを助けていたことを知り、三五の墓参と長崎訪問を果たす。
戦時中、満州国の営林署に勤務していた三五は、ハルク、愛琳、陽鵬と家族同然の親友となる。そして、三五と愛琳は婚約するが、招集により、愛琳を陽鵬に託して戦地に赴く。その後、シベリア抑留された三五は厳しい日々を耐え抜き日本に戻り、夏都の曾祖母と結婚する。ハルクは、日本空爆に関わったことに苦しみ、愛琳と陽鵬は、三五を待ちながら、日本人残留孤児を育てる。
さて、夏都やハルクは、曾祖父等の不思議な縁に導かれたのだろうか? 戦後七〇年を経て、今を生きる家族のカタチとは・・・?
(第二次世界大戦後七〇年の社会情勢に不安を感じ、書いてみました。未熟だとは思いますが、感想や評価をいただけますとうれしいです。)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-09-07 06:00:00
49988文字
会話率:42%
4年の歳月を経て、女勇者りったんはシベリア抑留から生還しました!
最終更新:2015-05-01 21:21:38
666文字
会話率:60%
1944年、開戦当初の思惑通りに連合国と講和を果たした日本だったが、領土的野心を抱いていたソ連軍の侵攻を受け北海道の北半分、千島列島、南樺太を奪われる。そしてソ連の配下、日本人民共和国が独立。北海道の半分を境に、日本は南北に分断された。かつ
て占守島守備隊に属していた砂川はシベリア抑留を経て、人民軍の兵士として北日本に降り立つ。南北の対立が続く中、1950年、遂に南北日本の間で開戦の火蓋が切って落とされた―――折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2014-11-15 03:00:00
98034文字
会話率:34%
商店街の一角にある「ギヤラリー夢酔」。胡散臭く不景気臭いその店に、男はしかし、吸い込まれるように足を向けた。女主人が見せてくれた「イコン」は、物心つく前に他界した祖父の「生きた証」だった。死と隣り合わせにある時にこそ、命の輝きのとうとさが分
かるのだ。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2014-02-19 21:00:00
7457文字
会話率:29%
シベリアの資源は人々の心の中に存在する。
最終更新:2013-12-06 13:35:45
1184文字
会話率:0%
昭和二十年、シベリア抑留された稔の思い。
≪1998.2.『ねっぷう』掲載作品≫
≪ブログ『蘇芳環の世界』にて公開中≫
最終更新:2013-01-29 22:36:39
3915文字
会話率:9%
「この物語は終戦に依り、ソ連復興の為シベリア抑留となった一兵士の苦闘談である。」
祖父が原稿用紙に書き綴った苦闘談は、こう始まります。
二度とあってはならぬと、戦争を知らない私達に書き残しておきたかったのかもしれません。
65年前
、シベリアの強制収容所に入れられ二年間を過ごした兵士の手記。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2011-03-06 21:18:27
20391文字
会話率:16%
1945年8月、突如ソ連が満州に侵攻してきた。
これはとある兵士の戦いとその後のお話。
最終更新:2009-11-03 23:33:56
2480文字
会話率:31%