『死霊』についての覚書、考察、エッセイなど。
最終更新:2024-07-15 18:22:54
4058文字
会話率:6%
『死霊』と呼ばれる人知を超える機械生命体の襲来により崩壊した世界。
敵と遭遇すると必ず頭痛を起こす颯(はやて)は、敵の存在をいち早く察知するため、レジスタンスの作戦指揮官に重宝される一方で、所属する対死霊精鋭部隊においては、頭痛でろく
に動けない事を理由に『指揮官お気に入りの役立たず』と揶揄され、疎まれていた。
そしてついに、事件が起こる。作戦行動中のミスに見せかけた仲間の策略により、片腕を失う深手を負った颯は戦闘不能と判断され部隊から追放されてしまう。それどころか敵の捕虜収容施設を奇襲するための自爆要員にさせられ、敵地のど真ん中に単身で放り出されるのだった。
こうして『指揮官お気に入りの役立たず』という疎ましい存在を追放することに成功した精鋭部隊だったが、実は颯の頭痛は『量子共鳴』という敵機動兵器に干渉する超希少因子を持つために起きていたのだった。
因子の開花により、遭遇した敵の超級特殊殲滅兵器と融合した颯は、一人で敵機動部隊を殲滅して尚、有り余る程の力を手に入れる。
世界の行方を左右する程の存在となった颯だったが、彼が選んだのは世界を気ままに放浪する事だった。
一方、颯を失った精鋭部隊は、今までは戦えていたはずの敵に、全く歯が立たなくなっていた。彼等が今まで勝てたのは颯が持つ『量子共鳴因子』の干渉によって弱体化した敵を倒していたに過ぎなかったのだ。さらに簡単な任務すらも度重なる有り得ない不幸によって悉く失敗して行く。
威張り腐るだけで全く勝てない精鋭部隊は、やがてレジスタンスのお荷物になっていくのだった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-29 07:34:13
89125文字
会話率:43%
カクヨム様で先行掲載しています。もし先が少しでも気になる方がおりましたら是非そちらにお越しください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891878553
※この物語はフィクションです。登場人物・地名
・名称等は架空であり、実在とは関係ありません。
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【背景】
舞台は近未来。約100年前に宇宙から太陽が数秒間消えた『常闇の数秒』の後、世界中を浮遊する霊が可視化され、誰でも、どこでも、何時でも霊は視えるし、触れることが可能となった。
それに伴い、法令『メビウスの理』により、霊の成仏を第一に考えて人間は行動するという新たなイデオロギーが確立される。
(以下、メビウスの理を抜粋)
①現世の浮遊霊を浄化するプロセスと期間が存在する
②人間と霊の恋愛は禁止されている
【世界観】
科学の叡智が根付き、空間転移を筆頭に人々が豊かに生活できる世界。しかし、闇に蔓延る『死霊』という悪霊の存在が、様々な怪奇事件を巻き起こしていた。
そこで、政府は警察組織の中に霊特殊捜査部・霊能犯係と呼ばれる霊専門部隊を設立。
社会の根幹を揺るがす絶対悪のS級死霊。霊能犯係の上級霊能官。そして、全てが謎に満ちている、古から続く対霊魔の最強家系――霊道御三家。
その三つの勢力が睨み合い、辛うじて平和を保っている世界だった。
【あらすじ】
現世に降り立ったのは記憶喪失の浮遊霊。彼は彷徨いながらも、とある女子高生と出会い、そして拾われる。
笑顔は明るく、陽気な彼女。しかし、そんな彼女には隠された秘密があった。男の除霊が決行されるまでの数日間、彼女が抱いている秘密と向き合い、お互いの存在理由と生きる意味を突き詰めていく。
そして、二人はある決断を迫られる……
互いの心が結ばれる時、未来の運命は激動する。過去と未来で広がる異能バトルファンタジー!
闇深ヒロイン、金髪ロリっ娘、変態娘、アラサ―巨乳廃人、何でも御座れ! ツンデレ、ヤンデレ、クーデレ、好きなモノ全部乗せです。
良かったら感想や評価のほど、宜しくお願い致します(。•ㅅ•。)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-01-20 20:09:39
82116文字
会話率:45%
⑴『埴谷雄高論』・・・小説の方法論から見る自由性
『カントとの出会い』から文章を抜粋して、最高存在に関する考察をした。また、埴谷雄高から影響を受けた、所謂言葉、文章、小説の自由性について、また特徴についての評論的文章。
⑵『埴谷雄高論』
・・・『死霊』についての考察
埴谷雄高の『死霊』から、二つの文章を抜粋して考察した。観念上の内容しか書き得なかったとする考察結果の後、形而上の無力と無限性がそこから読み取れるとした、評論的文章。
⑶『埴谷雄高論』・・・初歩的な観念性への入場
埴谷雄高の作品を湯むための、入場形式。観念性の思考切り替えを準備して、観念世界に浸ることへの方法論を書いた評論的文章。
⑷『埴谷雄高論』・・・『死霊』についての考察⑵
『死霊』についての考察の第二弾で、今回も2つの文章を抜粋して考察した。海外で育った埴谷を、日本文学的に考察したいと言った観点から、小説内の台詞に着目し、それを観念から観念への革命と規定した上で、生が、死の日時から逆算して存在していると結言した評論的文章。
⑸『埴谷雄高論』・・・『死霊』についての考察⑶
『死霊』の後半部分に出てくる「自己創造」と言う言葉に着目し、埴谷の言う言葉の本質を考察した。自分が見る埴谷の世界を理解するということを思考した上で、読者に文体が語りかけているとする、評論的文章。
⑹『埴谷雄高論』・・・自立する小説
埴谷雄高の作品には自立性が見られる。それは、読者にも作品に見合っただけの観念の量を求めるし、埴谷雄高の作品を死ぬまでに読み切りたいならば、読者も観念を自立しなければならないとする、評論的文章。
⑺『埴谷雄高論』・・・意味を意味する現象
『ドストエフスキイと私』から一文を取り出して、意味を意味するドストエフスキイに対して、埴谷の、文学的に自由で居たいために、現象になる前に、意味を意味のまま、観念を停止させたとする、評論的文章。
⑻『埴谷雄高論』・・・自己批評についての文学論
埴谷雄高の文学論にある、作者自身が、自己の小説を批評することが、作品の神髄を述べることだとする様な内容の文学論から、それを派生させて、他者の述べる印象批評よりも、自己批評によって、作品が輝きだすとした評論的文章。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-10-02 04:57:23
10717文字
会話率:21%