霊歴一八六三年夏、龍元のダーザルゲッガ島空襲に端を発した第二次精霊戦争末期、龍元は北領をアルメリア共郷国に奪われ敗戦を迎えようとしていた。だが、一八六五年の冬、療養除隊していたダーザルゲッガ島空襲、ダダガルザ諸島激戦のエース『銀翼』の竜霊
『銀嶺鱗・由露葉』とその竜霊剣護『浪代辰貴』が志願し、北領守護隊に配備されたことから、その敗戦のシナリオは大きく転換することとなる。第二次精霊戦争末期、北領の空を駆ける練装飛竜『銀戒』と『竜誇飛竜部隊』が辿る、敗戦の軌跡。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2012-01-27 22:46:54
80065文字
会話率:26%
昭和20年3月 戦争はますます激しくなり、桜子の住む町も 空襲の被害を受けた。
その中 15歳になった学思は ある決意をする。
それを知った 桜子は 彼の元に急ぐ。ただひとつ、伝えたいことのため・・・・
最終更新:2011-05-01 09:48:32
15349文字
会話率:32%
1945年(昭和20年)8月5日の正午過ぎ、アメリカ陸軍航空隊P-51複数機が満員状態の列車に対して執拗な機銃掃射を加えた。
これは、太平洋戦争中に国内最大の列車銃撃事件。湯の花トンネル列車銃撃空襲事件の内容です。
最終更新:2011-04-13 21:37:48
1164文字
会話率:43%
青年画家は、この絵を描くことでトラウマから逃れられた、と感じた。
彼は、その後、”破船”をモチーフに、滅びゆく物への挽歌・哀愁を長く描くこととなる。戦争絵画も、原爆と破船のフォルムとして表現している。80才を過ぎた今も、精力的に描き続け、作
品は、ゆうに1,000点を超えた。しかし、反戦絵画として人の死を描いたのは、後にも先にもこの一枚だけである。
この一枚の絵は、未だどこにも発表しないまま、今も、アトリエの奥に眠っている。
画家本間龍松の絵画の原体験、横浜大空襲を描いた作品。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-09-12 09:57:06
5024文字
会話率:14%
東京郊外のある街。続く紛争。普通の大学生。銃弾の間を縫う恋愛。昨日もいつものように空襲があった。そして今日はみんな何もなかったように大学へ行き、買い物をする。
キーワード:
最終更新:2009-12-06 13:55:34
10026文字
会話率:13%
74歳になった私が最近子供の頃が思い出されるので思い出した事を書いてあります。《1》じさまの事、《2》とっつあまの事、《3》夏、《4》蜂の巣、《5》地蜂にやられた話し、《6》冬、《7》スキーの板、《8》かかさまの事、《9》愛犬たまの事、《1
0》小学校時代、《11》ストーブ当番《11》兵隊さん送り、《12》富山市空襲、《13》終戦直後、《14》終わりに。折りたたむ>>続きをよむキーワード:
最終更新:2009-05-11 20:40:18
22276文字
会話率:2%
戦艦『榛名』『伊勢』『日向』――この三隻は長く日本を護り続けてきた古参の戦艦であった。横須賀の『長門』以外に、日本に残された戦艦はこの三隻だけであった。しかしその三隻も予備艦に艦種変更され、呉の港で浮き砲台としての余生を過ごしていた。神龍や
大和たちが沖縄に特攻してからも戦争は激化の一途を辿り、戦況は悪化し、彼女たちはこの国の危機を察していた。そして遂に、彼女たちに容赦ない戦争の荒波が襲いかかってくる。それは、最期の戦の津波だった―――折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2009-02-02 20:32:49
26341文字
会話率:46%
2008年の不況よりもの凄い不況の年に生まれ、大阪大空襲では爆弾と焼夷弾から逃れ、70年万博ではしっかり行列に並び、今は第3の青春の我が母の物語です。
最終更新:2009-01-06 20:54:41
1002文字
会話率:0%
ー時は昭和20年6月ー少年光太は福岡に住む、普通とは少し違った少年だった。お金も、食べ物も無い・・・。妹は19日に誕生日を迎える・・・・。そんな第二次世界大戦中に生きる少年の人生とは?
最終更新:2007-12-23 22:08:34
1189文字
会話率:13%
昭和二十年七月、太平洋戦争末期。日本全軍に特攻の狂風が吹き荒れていた。特攻によって家族の仇討ちを誓う斉藤と、特攻そのものを否定する高原。相反する感情を抱えた二人の男の苛烈な物語。
最終更新:2007-03-22 19:52:19
34339文字
会話率:34%