彦根かるたストーリー
彦根かるた「(ゐ) 井伊大老 鎖国の壁を 打ち破る」を題材とした物語。
高校生の主人公がトラックにはねられて飛んだ先は江戸時代だった。
主人公が出会ったのは元服もしていない井伊直弼だった。
完全空想物語です。「わからな
いからこそ空想や夢が広がる、歴史の楽しさはそこにある。」を主軸にしています。
この作品は、彦根市の情報まとめサイト『HIKO TOMO』(https://www.making-connection.com)の娯楽要素として掲載している創作物語です。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-01-30 00:00:48
252058文字
会話率:45%
高校3年生の杏里は大学受験が終わったその日に、安政時代にタイムスリップしてしまう。
それは安政時代のインチキ陰陽師ともいわれる冬哉の転移術によるものだった。
杏里は冬哉に「井伊直弼の暗殺計画を阻止に協力して欲しい」とお願いされるが……
最終更新:2024-05-24 18:49:45
49414文字
会話率:38%
南町奉行池田播磨守頼方(いけだはりまのかみよりまさ)が下す裁断についての、江戸市民たちの評判がすこぶる良い。大見得を切って正義を振りかざすような派手さは無いのだが、胸にジンと染みる温情をサラリと加える加減が玄人好みなのだと、うるさ型の江戸
っ子たちはいう。
池田播磨守頼方は、遠山の金さんこと遠山景元の後任の町奉行だ。あの、国定忠治に死罪を申し渡した鬼の奉行として恐れられていた。しかし、池田が下す裁断は、人情味に溢れる名裁断として江戸市民たちの評判を呼んでいく。
幕府勘定役組頭の奥田源右衛門(おくだげんえもん)が殺された。深夜に、屋敷で首を刺されていたのだ。下手人はどうも、奥田が毎夜のように招いていた女のようだ。奥田は女好きとして有名で、その筋の女を買うことが少なくない。
その関係の殺しとも思われたが、調べが進むと、お役目に関わる事情が浮上して来た。
町奉行池田播磨守は、どうやって犯人を追い詰めるのか。そして、どのような裁断を下すのか。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-08-13 21:04:40
37151文字
会話率:50%
安政7年の冬、天下を揺るがす大事件「桜田門外の変」が起きた。史実では最初の銃撃により負傷し、成す術もなく討ち取られた大老井伊直弼であったが、もしも銃弾が外れていたとしたら?
最終更新:2021-04-01 20:15:32
1962文字
会話率:15%
歴史上もっとも有名な悪役、井伊直弼。桜田門外の変、その前日も、男は独り文机に向かい、空を見ていた。
彼がなぜ、大獄を行ったのか。彼がいったい、何を思い、生きたのか。
一通の斬奸状から始まる主従の会話を通して、井伊直助の意思を描いた読み切り時
代小説。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-06-20 01:34:38
4895文字
会話率:38%
幕末の桜田門外の変。彦根藩主であった幕府大老の井伊直弼を水戸天狗党の脱藩浪士と薩摩の有馬が襲撃した事件です。井伊家の行列は警護役が50人以上、片や浪士側は18名、当日の大雪の中、井伊家の家臣は刀に袋をかけていて、浪士の急襲に対応する事が出来
ず、幕府大老井伊直弼は暗殺されました。
参加者の1名が柊の父方父の曾祖父にあたる人物でした。柊の祖父は参加者の子供であり、事件の詳細を膝の上で聞いたと言う話です。
かなり世間で言われている事とは異なる事件であった様です。
幕府の公式見解では、浪士側の主将関鉄之助の銃弾は井伊大老の腹に命中し大老は大量の出血で即死。有馬が首を斬り大目付に届けたのが事件の真相。
しかし幕府の公式見解では井伊は重症のまま邸に運び込まれて末期養子をたてた後に絶命した事になっています。
首を取られて生きている人間はいません。幕府は井伊家存続の為に事実を変更したのです。
大名行列とは軍隊と同じ。浪士に軍隊を襲撃されて命を奪われる。これは大名にあるまじき事として、幕府の法律では井伊家は断絶になるので、隠蔽工作を幕府はしたのです折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-04-21 02:41:30
271文字
会話率:0%
『日本語』
これ以上難しい言語がどこにあると言うのだろうか。
喋りすぎれば一言多いと言われ、逆に喋らなすぎれば言葉足らずといわれる。ことわざには、「言わぬが花」、「沈黙は金」ともあるが、現実はそう甘くない。
これは、言葉足らずのせ
いで会社を首になった俺、井伊直弼の無職から始まるラブコメディ・・・(になるはず)折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-03-20 18:38:42
687文字
会話率:46%
カレーに対する未練を残し、長州藩士の吉田松陰へと生まれ変わってしまった男。
カレーの香りすら漂わない幕末日本に絶望した松陰少年は、叔父による殴る蹴るの折檻により不満が爆発。
幕末の有名人の成長を待たずに己の力で維新を成し遂げる決心をする。
これは、カレーを食べたい一心で幕府を開国させ、インドの植民地化を阻止するべく、討幕派佐幕派、攘夷派開国派を問わずに人材を結集し、奮闘する男の物語である。
※言葉遣いは現代風です。登場人物の名前は基本的によく知られたモノを使っています。政治的な主張も多数含まれるかもしれません。作者の力量上、ご都合主義で話が進みます。若干のファンタジー要素があります。諸々ご注意下さい。
230話で1855年となり、この年から維新を始めております。
なお、タイトルの後ろに★がついていると地図情報があります。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-16 03:47:52
1164758文字
会話率:34%
《珠光茶碗》と呼ばれる青黄色をした茶乃碗がある。樂茶碗や天目碗・井戸茶碗・志野茶碗等、人気の高い茶乃碗に比べ影は薄い。此の茶乃碗は茶道開祖と呼ばれる、珠光が見いだし好んだとされる。織田信長が掌に載せ、千利休も用い、歴史に名を刻んでいる。伝世
される何碗かの、どれが本歌であるか、もう存在していないかは模糊である。
私は《珠光茶碗》で始めて茶を喫した時、膨よかな香りと濃厚な滋味と共に、茶に纏わる時を越えた幻翳の様な波動を感じ、心性が共振した。其の伝播された振動を紡ぎ、言乃葉として集め、文字に、小説にしたいと思った。
《珠光茶碗》に係わった茶人の人生を語るのでも、茶乃碗の伝来史でもない物語。《珠光茶碗》により茶人達が恵みの雨に打たれたかの様に心を育て、その積み重なりで〈心の下地〉が変化し〈さび・わび〉という茶乃湯に内在する実体を発見し〈侘茶〉へと辿り着き、茶道の玄旨ともいうべき概念を探り続けた変遷を、文字に刻みたかった。
物語の始まりは、佛道と數寄道の狭間で揺れ動く珠光と、名も無き十二ノ《青黄茶碗》との邂逅。茶乃碗がやかれたのは、茶を競い合う道具としての天目碗が主流であった南宋時代。〈禪ノ心〉を具現する〈空ノ碗〉として、禪僧虚堂智愚の求めに応じ、高麗の血を受け継いだ陶工孝中が、中国で十四ノ《青黄茶碗》を作陶した。虚堂の弟子南浦紹明(大應国師)が十二碗を日本へと伝え。孝中が朝鮮へ二碗、伝えた。
南浦が伝えた《青黄茶碗》は、偶然手に入れた珠光の心を動かした。その珠光が一休宗純・能阿彌・足利義政、そして多くの人と出会い、互いに影響し合って、佛事や賭博の道具であった茶乃湯から、心を中心とした茶道が生まれた。朝鮮へ渡った碗も日本へと伝わり、《青黄茶碗》は人から人へ、名物《珠光茶碗》として伝えられた。村田宗珠・鳥居引拙・十四屋宗伍・武野紹鴎・山上宗二・千道安・千少庵・古田織部・小堀遠州・千宗旦・片桐石州・金森宗和・藤村庸軒・川上不白・松平不昧・井伊直弼らの茶乃湯者が、《珠光茶碗》で心を耕した。
十四ノ《珠光茶碗》は紆余曲折を経て何碗かは滅失し、行方が知れず亡失した。《珠光茶碗》は何時の代でも出会った者の〈心の下地〉を変質させた。今までも、これからも。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2014-05-18 11:02:21
45908文字
会話率:13%
天誅の標的となり、三条大橋に生き晒しにされた村山たかが見上げた月も、欠けていて――
※自サイト『京都にての物語』からの転載となります。
最終更新:2013-03-15 21:54:33
1639文字
会話率:36%