どうしてこんなことになってしまったのだろう。
人を殺すかもしれないという予感はずっと前から確かにあった。こんな混乱の時代なのだから仕方ない。兵役に出ることは僕にとってある種の輝きを持っていたことも間違いじゃない。
級友たち含め、僕ら青
年は皆祖国ソビエトのために戦うことを誇りに思っていた。革命の流れに押し出されるようにこの世に生を受け、そして故レーニンの意志を受け継ぐ人民として力強く育った。20歳になった日の朝、もうすぐ僕は兵役に就くことを知った。家族と離れる悲しみはあったが、それでも自分が死ぬわけはないとたかを括っていた。それに、あの忌々しいナチスにとどめを刺してやれることが何より嬉しかった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-02-06 20:00:00
4394文字
会話率:0%
ソ連によるポツダム宣言受託拒否。血の滲む思いで降伏を決断した日本は、なおもソ連と戦争を続ける。
1945年8月11日。大日本帝国はポツダム宣言を受託し、無条件降伏を受け入れることとなる。ここに至り、長きに渡る戦争は日本の敗戦という形
で終わる形となった。いや、終わるはずだった。
ソ連は日本国のポツダム宣言受託を拒否するという凶行を選び、満州や朝鮮半島、南樺太、千島列島に対し猛攻を続けている。
なおも戦争は続いている一方で、本土では着々と無条件降伏の準備が始められていた。九州から関東、東北に広がる陸軍部隊は戦争継続を訴える一部を除き武装解除が進められている。しかし海軍についてはなおも対ソ戦のため日本海、東シナ海、黄海にて戦争を継続していた。
すなわち、ソ連陣営を除く連合国はポツダム宣言受託を起因とする日本との停戦に合意し、しかしソ連との戦争に支援などは一切行わないという事だ。
この絶望的な状況下において、彼らは本土の降伏後、戦場で散っていった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-05-22 12:12:13
36970文字
会話率:18%
1945年2月18日のソ連による進行から始まった日ソ戦争
津軽海峡、日本海では第一次奥尻島攻防戦と前後して潜水艦による通商破壊が活発化していた
ソ連側も北海道の何処かに拠点を儲け、活発化させていた
これは日ソ戦争の影で行われ
た静かな奇襲作戦である折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-07-08 20:49:37
5371文字
会話率:48%
僕は今年の夏休みも恒例とかした爺ちゃん家に訪れた。爺さんには左腕がなかった。昔、「東北戦争」で失くしたらしい。この時、ぼくは爺ちゃんの昔話を聞くことができた。これは爺ちゃんが経験した「父親」の戦いであった。
パラレルワールドシリーズ第1弾
最終更新:2014-02-06 19:34:22
33963文字
会話率:25%
日露戦争で惜敗した事により現代まで存続する大日本帝国は、明治の時代を生きた男の呪いにより戦争の道を歩み続ける事となる。
最終更新:2012-03-16 17:29:47
61695文字
会話率:8%