神託によって勇者に選ばれたのは私の夫だった。妻として誇らしかった、でもそれ以上に苦しかった。勇者と言う立場は常に死と隣り合わせだから。
『ルト、おめでとう。……でも無理しないで、絶対に帰ってきて』
『ああ、約束するよ。愛している、ミワエナ
』
再会を誓いあった後、私は涙を流しながら彼の背を見送った。
そして一年後。立派に務めを果たした勇者一行は明日帰還するという。
王都は勇者一行の帰還を喜ぶ声と、真実の愛で結ばれた勇者と聖女への祝福の声で満ちていた。
――いつの間にか私との婚姻はなかったことになっていた。
明日、彼は私のところに帰ってくるかしら……。
私は彼を一人で待っている。『おかえりなさい』とただそれだけ言いたくて……。
※作者的にはバッドエンドではありません。
※他作品『一番になれなかった私が見つけた幸せ』の前日譚でもありますが、そちらを読んでいなくとも大丈夫です。
※アルファポリスで先行投稿しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-12-23 09:16:17
21134文字
会話率:27%
人間は、皆等しく一人で生きていくことはできない。周りと協力して、時には利用して利用されて、自分がのし上がろうと必死に世界にしがみついているのだ。そして人の身ではどうしても達成不可能なことに直面した者は、何かに祈り、縋る。
祈った結果助けら
れた人はそれを信じ、狂ったかのように浸透する。
――それは天。常に秩序の名のもとに自身を絶対正義と断定して敵対者、天を信じない者に裁きを下す酔狂者。天の奇跡や復活と誑し込み戦うための力を与え、命さえ捧げさせようとする詐欺集団。
――それは魔。自身の知恵を巧みに操り現実に無限の可能性を見出し、目的のためなら多少の犠牲など厭わない精神病質者。甘い誘惑で信者を増やし、真実を秘匿して自分以外の人間をただの道具としか思わない、行き過ぎた合理的至上主義の集団。
生きていく上で天と魔どちらかを信仰しないと言われたらどうするだろうか。
天を虚偽まがいの茶番だと一蹴し、魔を非人道的だと否定するだろうか。
しかし、それは幼いころから広い視野で物事を見て来たから言えることだろう。
この二つしか選択肢がなく、生まれてからずっと天だの魔だの言われ、信仰を押しつけられた人間はそのような思考は持ち合わせているだろうか。
否だ。二つしか選択肢がないものにとって自分が信じたのが正で、それに対するものが悪なのだから。
――これは天か魔。自分の信じるもののためならば命すら投げ捨てる、信仰と言う概念に汚染された人間たちの物語である。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2021-06-29 20:18:54
289175文字
会話率:47%
新薬の実験中に、動物たちが次々と死んでいく。
多少の犠牲はやむを得ない。今までも医療技術とはそのように発展してきたのだから。
だが、副作用だと思っていたそれが、ヒトに『感染』した。
未知の病気は、防疫対策をすりぬけて感染が広がっていく。
治療方法、不明。
予防方法、不明。
感染の判別方法、不明。
分かっていることは一つ。
発症は、すなわち死であること。
破滅的な未来を防ぐために研究者たちは手を尽くす。
が、その彼ら自身も感染の疑いが濃厚なのだ。
彼らの道の先に光はあるのだろうか。
タイムリミットは、近づいている。
※ 旧タイトル「パンツを高くかかげて」
※ カクヨムで同時公開中折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-03-22 21:10:30
41565文字
会話率:36%
何となく出かけた飛行機旅行、それは偶然の重なり、仕組まれた偶然。
同じく搭乗している、女子高校生3人組、彼女達も偶然だろう。
目を開けたら、そこは宇宙空間でした。
大丈夫だ、テレポートができる。
そこで気づいてしまった、地球に戻れないと
いう事実を。
地球から追放したは、どこの誰だ?
多少の犠牲を払いながら、地球に戻ってきたら、今度は地球がピンチでした。
~始まりのの生体シリーズ~第1部です。プロローブ的位置づけで、主人公の生い立ちから、物語の主要人物との出会い、地球の現状を書いています。
※地球の実在の地域名が出てきますが、全てにおいて一切関係ありません。
※男女の営みの描写はありません、空白になって情事後から始まります。
※会話主体の日常パートがメインです、超能力バトルはラスボス戦まで一切ありません。
※アルファポリス、ツギクル、カクヨムに転載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-09 23:36:25
179269文字
会話率:50%
幕末、遣欧使節団の一員としてエジプトの地に降り立った福沢諭吉は、考えていた。
日本人の心の底に横たわり「自らを縛(しば)っているもの」についてである。
一般的に「道徳」と呼ばれ、社会的規律や治安を保つ働きをしていた一方、身分や男女の
違い、個人の権利や自由を束縛(そくばく)していた。
なぜ考えていたか?
先年、遣米使節団の一員としてアメリカへ渡航した際、日本と西欧諸国との文化や倫理観の違いを痛切(つうせつ)に感じたからだ。
欧州へ向かう船旅の途中で立ち寄ったアジア各地の港では、差別と過酷な使役の実態を見た。
カイロでは、イギリスやフランスの食い物になっているエジプトの現状を知り、さらに危機感を募(つの)らせた。
外国勢力と結託(けったく)した王侯貴族や大商人などの権力者が豪奢(ごうしゃ)な宮殿に住み、豊かな生活を営む傍(かたわ)らで、アリの巣のような「土を盛り上げただけの家」に住む貧しい人々が群れていた。
滞在中、観光のためモカッタムの丘にある城(じょう)砦(さい)へ向った。
そのテラスで、スエズ運河の立案と設計をおこなったフランスの技師、レセップスと出(で)遭(あ)う。
レセップスは、「偉大な事業を達成するためには、多少の犠牲はしかたがない」と弁舌を振るう。だが、この壮大な事業のために数万人ものエジプト人が苦(く)役(えき)に駆り出され、病やケガによる死傷者は、数千人にも及んでいた。
諭吉は反論を試(こころ)みるが、うまくいかない。
なぜなら自分の心の中にも、そうした考え方が潜んでいたからだ。
「藩や主君のためには、命を惜(お)しまない」というのが、江戸時代における武士の在り方であった。子どもの頃から、そうした考え方に疑問を感じていた諭吉であったが、武士の家に育ったため、すべて振り捨てることはできなかった。
(個人の生命や意思よりも、国家や組織の継続及び繁栄の方が大事なのか?)
深く考え続けながら、遠くに見えるピラミッドを眺める。
「ハッ!」と気付いた。
これまで思い考え続けていた問題の「構図と、解決への糸口」が、見えた。
ここで福沢諭吉が得た「個人の独立」、さらには「個人の独立なくして、国の独立なし」といった考え方は、明治初期の若者たちの心に深く浸透(しんとう)し、日本の近代化を進める上での礎(いしずえ)となった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-04-19 10:29:38
45684文字
会話率:19%