改元というのを体験するのは初めてなので、なんか不思議な気持ちでいます。
最終更新:2019-04-30 16:31:06
2671文字
会話率:42%
大切なものを失くした僕は「メイ」と名乗る男の子に出会う。
最終更新:2019-04-30 11:59:55
3581文字
会話率:52%
新元号発表の前にネタが流れてきたのでちょっと便乗してみました。
最終更新:2019-04-02 12:25:05
646文字
会話率:20%
高校生なのに親父のかわりに年号を考えないといけなくなった俺!
そんな俺の元に年号体と言われる少女たちが次々と現れ、改元(年号変更)を阻むものたちと戦えと言われ!?
さらには新年号の教育係もすることに……!
最終更新:2019-04-01 10:58:09
6314文字
会話率:37%
平成も、残り三十日になりました。
最終更新:2019-04-01 09:00:00
450文字
会話率:0%
某平成アイドルユニットは改元したらどうなるんだろう、などと考えていた時期もあったが平成は終わらなかった。
最終更新:2019-02-12 01:19:59
2021文字
会話率:42%
明治改元150年、に、おもうこと。非常に個人的なはなしですが。
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最終更新:2018-10-18 02:27:58
1301文字
会話率:0%
天正と号された二十年は、とある人物のためにあった時代と云えよう。天下人、織田信長である。
それまで信長は室町幕府将軍足利義昭を擁していた。が、元亀四年(1573年)義昭が抵抗の意を示したことを切っ掛けに京を追放。その年に元号を元亀から天
正と朝廷に奏上し改元した。信長の天下の幕開けともとれる出来事であった。
そして最果ての地、津軽に於いても、一人の姦雄が台頭した時代でもあった。
下克上をなした信長に続けとばかりに、後の津軽藩初代藩主、大浦為信が蜂起したが同じ頃。
それまで津軽は南部家の治めるところにあったが、堀越を皮切りに、石川、和徳と次々と城を落とすと、天正四年(1576年)には滝本播磨守重行が護る大光寺を、その二年後の天正六年(1578年)には、地域一帯を治めていた公卿の末裔北畠の浪岡御所を攻略。破竹の勢いをみせていた。
要害汗石城の千徳大和守政氏を懐柔し、津軽西南をほぼ手中に収めたが、この地に於いてただ一人、大浦の世を良しとしない者がいた。
鄙館城代、千徳掃部助政武である。
しかし衆寡敵せず。鄙館千徳の命運は風前の灯と云えた。
※ タイトルは「さいかちのはな はくげつにさく」と読んでください〜。
転生もタイムスリップもしませんが、何卒よろしくお願いします〜。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-09-23 15:57:07
10365文字
会話率:45%
評伝「左近太」に書いた曾祖父「左近太」の、欠けていた剣技の具体を示しているかもしれない、新しい資料に行きあたりました。『百魔 續篇』(杉山茂丸 著)──国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」で発見。1926年(大正15)12月25日(昭
和に改元される前日)、大日本雄辯(弁)會(現在の講談社)から発行された書籍です。波瀾万丈、狂瀾怒濤にして有為転変、そして快刀乱麻。軍記物の講談を聴くというか、歌舞伎を観ているような、目眩くドライブ感にあふれる筆致──天下の稀&奇書と呼ばれる同書にインスパイアされ、引用と妄想の果てにまとめた話です。
拙著ブログ『軽はずみ備忘録』、ブログまとめサイト『WEB版・軽はずみ備忘録』掲載原稿を一部改訂しています。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-11-27 15:56:46
16589文字
会話率:2%