平成8年6月、常石神社神殿の裏手で、磯部作次郎が撲殺される。彼は常滑で土建業を営んでいた。主人公の坂本太一郎は同じ常滑で建売住宅を営んでいた。2人は幼友達である。
磯部作次郎の死で、古代から磯部家に伝わる”ソロモンの財宝の秘密”探しが浮
上する。その財宝の在り処を示すカギと言われる、重さ40キロの紫水晶が磯部の死と共に失われる。
磯部家は古代を遡ればスサノオ、ニギハヤヒの時代からの日本を支配していた一族である。特にスサノオは朝鮮半島から来ている。その前を遡ると、出エジプトのモーゼに辿り着く。紫水晶はこのエジプト王の宝であった。それをモーゼが持ち出して、代々イスラエルの秘宝として大切に保管されていた。イスラエルの隆盛はソロモン大王で極まった。その後イスラエルは滅び、その民は流浪の果て世界に散っていく。
その一部がソロモンの財宝の秘宝と、紫水晶を携えて、朝鮮半島を渡り、日本にやってきた。これがスサノオである。スサノオ亡き後、その子のニギハヤヒが後を継ぐ。その後その子孫の磯部一族が伊勢の地にソロモンの財宝を隠して、対岸の常滑の地にやってきたというものだ。彼らは常滑に定住する。
常滑の地名に財宝の在り処の目印を隠したとする。
磯部作次郎は次男、長男の作太郎は早くに死んでいる。その未亡人のとめは息子の幸一を連れて、30年以上も前に伊勢に出奔している。そこで名前を変えて財宝捜しに奔走していた。
磯部作次郎死後、しばらくして、磯部とめは10年前に死亡、息子幸一は無惨にも殺されるという事実が発覚される。
警察は磯部作次郎殺害当初、犯人は磯辺とめと息子の幸一と推定していた。その推理が外れて事件は迷宮入りとなる。
坂本太一郎は磯部作次郎の未亡人珠江の協力を得て、磯部家の膨大な古文書を調べ上げて、ソロモンの財宝がどのようにして、伊勢の地に秘匿されたかを調べ上げていく。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-12-13 11:52:32
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妻の志保と古川を拉致された波多幾雄は気力を振り絞って太秦のお宝探しに奔走する。
崇神天皇、神武天皇等を調べる。結果この2人の天皇は1人の大王(ニギハヤヒ)の事蹟を2人に分割したものと推量する。そしてニギハヤヒの父スサノオは失われたユダヤの
十支族の長ではなかったかと結論付ける。日本にもスサノオの伝説が牛頭天王(エジプトのバアル神)として伝わっている。
太秦のお宝=ユダヤの神との契約の聖櫃アークを日本に持ち込んだにはスサノオでそれを大和に運びいれたのがニギハヤヒと結論した。
その後、歴代の天皇によって契約の聖櫃アークは大和から各地を転々とする。最終地伊勢の内宮に納められる。
しかし平安京が出来ると、桓武天皇によってアークは宮中に納められる。それ以後鎌倉時代になると武家の力が朝廷を圧倒する。各地に内乱が勃発する。アークは秘かに伊勢の地に運び込まれる。
伊勢のどこかにあるのでは・・・波多がここまで推理した時、波多は志保と古川に再会する。
そして3人は伊勢に移される。その直前、謎の人物は”太秦のお宝の隠し場所を解く鍵は伊雑宮にある”と告げる。
3人は伊雑宮について調べる。伊勢の内宮、外宮、伊雑宮も秦氏の創建によるものと知る。そしてこの3社は元々3社一体で存在していた事を知る。
しかし伊雑宮の何処をどう調べれば、太秦のお宝と結びつくのか全くの不明であった。
3人は一旦常滑に帰る事になる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-01-18 09:30:15
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