平安時代後期の宮中でめったに起きないことが出来しました。北面の武士佐藤義清と、彼とは身分違いにあたる、さる上臈の女房との間に立った噂話です。上臈の女房が誰であったかは史書に記されていませんが、一説ではそれが中宮璋子であったことが根強く論じ
られています。もし事実であったならまさにそれはあり得べからざる事態となるわけで、それを称して阿漕の浦の事態という代名詞までもが付けられているようです。本来阿漕の浦とは伊勢の国の漁師で阿漕という名の男が、御所ご用達の漁場で禁漁を犯したことを云うのです。空前絶後とも云うべきそれは大それた事、罪でしたので、以後めったに起きないことの例えとして阿漕の浦が使われるようになりました。さてでは話を戻して冒頭の、こちらの阿漕の浦の方ですが仮にこれが事実であったとしたら、そこから推考し論ずべき点が多々あるようにも私の目には写りました。もの書き、小説家としての目からということですが、ではそれはなぜかと云うに、中宮璋子の置かれた数奇な運命と方やの佐藤義清、のちの西行法師の人格と生き様からして、単に御法度の恋と云うだけでは済まされない、万人にとって大事で普遍的な課題があると、そう着目したからです。さらにはこの身分違いの恋を神仏と人間との間のそれにさえ類推してみました。ですから、もちろんこの物語は史実ではなく想像の、架空のものであることを始めに言明しておかねばなりません。具体的な展開、あらすじについてはどうぞ本編へとそのままお入りください。筋を云うにはあまりにも推論的な要素が多いからですが、その正誤についてはどうぞ各々でなさってみてください。ただ異世界における、あたかも歌舞伎の舞台に見るような大仕掛けがあることは申し添えておきます。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-05-11 21:27:26
20108文字
会話率:28%
シラカワ帝の御世、都には人を喰らう鬼が出るようになっていた。鬼の身体には刀も弓矢も効かない。北面の武士・平茂森は、夜の都を警ら中に、鬼に喰われかけた。その折に、僧侶・ホウイチに助けられ、『鬼を狩る力』が存在することを知る。ホウイチが読経する
とその皮膚には紅い経文が浮かび、読経しながら錫杖を振りおろせば、鬼を打ち殺し塵と化すことができるのだ。ホウイチを通じて蛇法師と知り合った茂森は、鬼を射殺すことができる神弓を蛇法師からもらう。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-12-27 14:49:09
17810文字
会話率:52%
平安末期、伊勢平太と遠藤持遠は武士としての若い同僚である佐藤義清の芸術論の押し売りに閉口し、歌の道に命をかける覚悟があるのかと問い詰めた。そんな折、持遠に長子が誕生。だがその直後、「覚悟」を決めた佐藤義清は職も妻子も捨てて、歌の道に専念すべ
く出家した。
そして遠藤持遠の長子は成人して盛遠と名乗るが、とあるとんでもない事件を引き起こし……。
さらに伊勢平太は後に権力の頂点に……。
三者三様の「それぞれの秋」。
この作品は「歴史小説フリマ(http://www5b.biglobe.ne.jp/~freema/index.htm)」にも掲載しています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-03-03 13:10:34
31996文字
会話率:61%