血筋と閨閥のお蔭で身の丈に合わない厚遇を受けている事から『蛍』と嘲笑される“羽柴大津宰相”こと京極高次。忸怩たる思いを抱える中、正室・初の手筈で嘗て浅井長政を武略の面で支えた寿至斎(通称“翁”)を懐刀として迎え入れ、失われた誇りを取り戻す
事を決意する。
太閤・豊臣秀吉の死で徳川家康が自らの天下獲りへ向け始動する中、高次はそれに賛同する意思を示す。慶長五年〈一六〇〇年〉七月、「上杉家に謀叛の兆しあり」として会津へ征伐に向かった家康を追討する『内府ちがひの条々』が発布。周囲に味方が居ない事から高次は家康討伐の軍に加わるも、家康を追討する軍勢の主力が通過した九月に反旗を翻す。しかし、敵方は秀吉より『天下無双』と絶賛された勇将・立花“左近侍従”親成(後の宗茂)を筆頭に朝鮮の役で厳しい戦いを生き抜いてきた精鋭部隊を送り込んできた!
京極勢三千に対し、敵勢一万五千。到底勝ち目のない戦いが、今始まろうとしていた――!!
<第14回ポプラ社小説新人賞 落選作品>
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-02-12 19:30:00
144467文字
会話率:33%
1600年6月18日夜(関ヶ原合戦が起こる2ヶ月前)、朝に伏見城を出発した徳川家康以下3,000の将兵は、大津で休息。
昼には大津を発ち、夕刻、石部宿に達した。
会津討伐の総大将として、一旦江戸へと向かい、各大名に出させた兵をまとめて
上杉領へと攻め入るためである。
……ただこの夜、家康襲撃を計画した者があった。
石田三成の軍師 島左近である。
史実では、三成が渋ったために起きなかった「石部宿襲撃事件」であるが、仮に実行されていたら歴史は変わっていたかも知れない……。
豊臣政権/徳川政権の分水嶺として、この幻の戦いを取り上げる。
なお、家康の政権奪取を阻止する創作ですから、家康ファン・徳川押しの方には胸糞な小説となっております。御不快に感じられましたら、どうぞブラウザバックをお願い申し上げます。
また、戦記物ですので戦闘における残酷表現を含みます以上、R-15とさせていただきます。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-09-19 11:50:45
27935文字
会話率:20%