忘れてはいけないと思い、阪神淡路大震災当時の記憶を書き連ねてみます。
不定期投稿です。
最終更新:2018-03-11 23:08:30
8815文字
会話率:1%
大阪・中崎町
人生がしあわせに変わる
ここに暮らす
自由な仲間との楽しい暮らし
子供食堂の活動紹介
阪神淡路大震災復興支援
東日本震災復興支援活動
熊本震災復興支援活動
大阪グルメの紹介
毎日のイベント紹介
最終更新:2017-09-29 08:55:44
733文字
会話率:54%
阪神大震災による経済の落ち込みが被災地以外の場所にも飛び火していた。人心の荒廃、そこから這い上がろうとする下町の人達。
0546~阪神大震災が俺の古市で買った三冊百円の安ラノベを吹き飛ばすの後日談。
最終更新:2016-12-05 21:54:30
2919文字
会話率:25%
阪神淡路大震災前、イジメ問題を抱える椎親子が神戸に転勤、転校するまでの経緯。
最終更新:2016-10-05 18:47:29
348文字
会話率:0%
震災で破壊された街に設置されていた仮想職安は二百年先のロボット対応型ハローワークだった。
1995年の阪神淡路大震災と200年後に起きた阪神淡路大震災のエネルギーがシンクロして、1995年に
ワープしてしまったのである。そのことを知った椎は
200年先の事を仮想職安ロボットに訊ねた。
ロボットは「人類はマクロ知能によって完全支配されている」といい、その原因が2045年に実用化となった初代仮想職安にあると答えた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-09-21 18:52:52
348文字
会話率:0%
阪神淡路大震災以後、神戸支社の仕事が激減、リストラのうわさがちらほら聞こえてきて、遂に営業の一人が地方に飛ばされた。次はデジタル化で仕事の外注化が進み、二人も要らなくなったデザイナーのどちらか一人だった。
※文章も画像化する(スマート本)形
式なので例によって文字カウント間違っています。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2016-04-09 23:27:24
350文字
会話率:0%
311よりも昔……21年前の115より……。
最終更新:2016-03-28 18:37:40
7462文字
会話率:43%
311の時のこと……気持ち。
最終更新:2016-03-11 02:25:20
325文字
会話率:15%
阪神淡路大震災から20年記念作品。
主人公高橋誠也(たかはしせいや)が神戸市東灘区で産声を上げた
1995年1月17日、
彼の父、高橋誠(たかはしまこと)は震災発生後の
消防士としての救助作業中に殉職した。
生まれながらに父を亡くして誠也
だったが、
小学校教員である母、星子(せいこ)と共に
地域の人たちの助け、
そして父の後輩たちの励ましに支えられて、
箱根駅伝も走った父と同じ長距離ランナーとして成長し、
駅伝の名門校、宮城の石巻本山学院で
全国高等学校駅伝競走大会への出場を目指すが、
そのさなか彼はもう一つの「震災」に遭遇する。
1995年と2011年、2015年、
神戸、宮城、東京、
多くの時間と場所、そして人を繋いで
託されていく願いの襷。
二度目の危機に直面した彼に語り掛ける声とは、
そして彼が「走り」に見出した意味とは。
走れ、誠也!
アイツが、
お前を待っている。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2015-02-01 23:26:42
12818文字
会話率:10%
阪神淡路大震災に向けたエッセイです。
最終更新:2015-01-17 18:28:06
310文字
会話率:0%
前作「阪神淡路大震災」で大人気だった悩める高校1年生「勇人君」のその後第3弾です!(※一部フィクションを含みます。)
最終更新:2011-11-30 07:59:27
5576文字
会話率:55%
前作「阪神淡路大震災」で大人気だった悩める高1生「勇人(はやと)」君のその後、第2弾です!(※一部フィクションを含みます。)
最終更新:2011-11-17 07:05:16
3830文字
会話率:55%
前作「阪神淡路大震災」で、アクセス数がダントツに多かった「神様はいるのか?」「<番外編>息子の論理」に出てきた、悩める高校1年生「勇人(はやと)」君のその後です。(※一部フィクションを含みます。)
最終更新:2011-11-10 08:02:58
3739文字
会話率:56%
激しい大きな地震の揺れから、身重の私を、守りぬいた、夫は、その後、すぐに出て行ってしまい、なかなか帰って来なかった。
最終更新:2011-06-10 14:51:04
1937文字
会話率:5%
あの少女は一体何者だったのか?大戦末期、陸軍刑務所に現われた軍人と少女。三十人の重犯罪人と一緒に閉じ込められた少女は……
最終更新:2010-12-11 23:31:00
15249文字
会話率:39%
本書は、10数年前に痴呆症(当時はそう呼ばれていた。現在は認知症)になってしまった母と私(筆者)との介護会話日記である。この日記は19年前に起こった「阪神淡路大震災」から始まった。
認知症がどのような「病」なのかを、コミカルな大阪弁で「母と
の会話」を通して著した。
母と私(筆者)は二人暮らし。
「認知症」は「切ない」病である。このため「認知症」の介護は、仕事との両立が困難で、生活苦に陥りやすく、苦悩の連続で、多くの介護者は「悩み、苦し」、挙句、心中や殺人に迄到るケースが後を絶たない。いまでも、この状況はあまり変わっていない。むしろ、高齢化社会が進んできた事や長引く不況で、増え続けているのが現状である。
昨今では、有名人や芸能人等が「介護を巡って、苦悩を告白」マスコミもこれを大きく取り上げ、「介護地獄」を喧伝している。
果たして、そうか。私は、認知症の母を介護しながら「介護」は「地獄」とする風潮に「疑義」を抱き続けてきた。
母が笑ってくれれば、笑顔を見せてくれれば、それで良い。そのためには「逆らわず、怒らず、大声を出さず」に「介護は会話から」を基本に実践した。
この日記は「認知症の介護」の答えを出した分けではない。が、このような「介護」もある、と言うことを知って頂ければ、多くの介護関係者の参考になろうかと、思い、取りまとめたものである。
その母も3年前に天国へ逝ってしまった。
私は、いま「看取り後」として、「男性介護ネット(事務局:立命館大学)」を、応援するため、このブログを続けている。介護していた愛する人を亡くし、独りぼっちになった方々を「ロストシングル」と言うそうだ。この方々は、一心に介護をしてきただけに、その反動も大きく「抜け殻」のようになってしまう方もいる。「介護」が生き甲斐となっていたからである。その生き甲斐が無くなったら。
私もご同様だ。看取り後、自分がどう生きていくかを、ブログに書いていくことにした。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-08-23 16:13:12
159955文字
会話率:46%
ただ平穏無事な人生を送ってきた。その中にあった出来事の一つ――神戸で生まれ育った主人公が、震災などの経験を語る。
最終更新:2008-10-16 06:09:49
5694文字
会話率:20%
阪神淡路大震災で、私はあなたを失った。一つ前に進むまでの、果てしなく長いプロセス
キーワード:
最終更新:2005-08-20 10:30:27
1085文字
会話率:0%