讃岐国仁尾浦は延文三年(1356)詫間氏の寄進により、京の賀茂社領として人々は平穏な日々を過ごして来たが、嘉吉の乱の当時、守護代と代官の間で二重差配を受ける。その間のエピソードを物語風に書き下ろして参ります。お楽しみに。実は2007年9月1
0日に「脳血栓」を患いまして左手が思うように働きません。リハビリでかなり復活は致しておりますが投稿速度が遅くなるのは否めません。御迷惑をお掛けいたしますがご理解の程をお願い申し上げます。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2007-09-09 21:27:40
10990文字
会話率:40%