天正14年、九州の覇権を巡る大戦が行われた。その戦の名は岩谷城の戦い。島津家が九州制覇の野望を果たすべく、九州一方の雄、大友家に挑む。衰退著しい大友家は豊臣の軍門に下ることにより島津打倒をもくろむ。豊臣軍九州征伐の狼煙はあがる。島津家はそ
の前に九州に覇を唱えようと、破竹の勢いで攻め上り、名将立花紹運が守る岩谷城に対峙した。島津家は島津忠長を総大将とし大宰府の観世音寺に陣を敷く。島津軍四万VS高橋軍わずか763名。決死の戦いが行われようとしていた。一方、立花山城を守る立花宗茂(当時、統虎)は、父紹運に撤退の使者を送っていた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-05-08 09:01:06
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