昭和十八年四月、ソロモン諸島の最前線で連合艦隊司令長官山本五十六大将が戦死しました。このあとをうけて連合艦隊司令長官に親補されたのは古賀峯一大将でした。しかし、その古賀長官の戦いぶりについてはあまり語られていません。
すでに敗勢に陥って
いた連合艦隊は敗退を重ね、後退を続けていきました。それゆえに古賀峯一長官は評価されるところがないようです。しかし、同じ負けにも負け方というものがあります。古賀峯一連合艦隊司令長官がどのように戦い、そして、敗退していったのか、戦史をひもといてみたいと思います。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-08-30 08:33:59
27048文字
会話率:22%
未来の日本人の青年はふと気付けば古賀峯一に憑依していた。
青年がやる事はただ一つ『あの歴史を出来るだけ押さえる』事だった。
最終更新:2014-12-13 07:00:00
36850文字
会話率:55%
ヒトラーのネタを考えてたらふと浮かびました。
最終更新:2014-11-12 10:49:28
2034文字
会話率:54%
大学の入学を控えた大阪の高三の俺―――古賀大和は眼を覚ましたら大東亜戦争勃発前の古賀峯一に転生してしまった(でも名前は古賀大和)
俺は思案の末、アメリカとの戦争を避けるためにあらゆる策?で展開する事にした。
――友人達から「それは火葬戦
記じゃね?」と言われているので、削除するかもしれません。
その時はマジですみませんm(__)m折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2011-07-14 13:28:18
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会話率:41%