昭和三〇年代川崎の武蔵小杉で生まれた、私立大学の文学部英文科2年生の洋太は、上野駅から夜行列車に乗り北陸へと一人旅に出る。はじめは孤独感に苛まれ、すぐに帰りたいという気持ちになるが、仕方なく旅を続ける。そして、その旅と並行する形で、毎日、日
が暮れるまで真っ黒になって遊んだ、昭和の伸び伸びとした幼少期の洋太の姿が描かれる。
洋太は、風呂もなくトイレも水道も共同の、古い木造の寮の八畳一間の部屋に、家族四人で暮らしている。まだ貧しかった日本でも、最下層の住宅と言えるような所だった。だがその一方で、野良犬の面倒をみたり、野球をしたり、メンコや駒をしたりすりして遊ぶ日々は、わくわくする毎日で変化に富んでいる。寮の仲間と銭湯に行くのも楽しい時間だった。
しかし、洋太の中学入学に合わせるかのように、寮は取り壊されることになり、住人は新築のトイレバスキッチンもある鉄筋のアパートに入居することになる。洋太は大喜びで引っ越していくが、しばらくすると、そのアパートが冷たいコンクリートの固まりのように思えてくる。そして、まだ取り壊されていない荒れ果てた無人の寮に度々行っては、トイレに座り込んで、涙を流す。生活も、少年時代から一変して、勉強のことを気にして、暗い無気力な毎日を過ごすようになる。
北陸での旅を続ける中、洋太は、これまでしたことのない経験、様々な人々との出会いを通して、普段の生活では全く考えなかった思いを抱くようになる。戦前戦中に青春時代を過ごした両親の人生にも思いを巡らし、深い感謝の気持ちが芽生えてくる。そして少年時代の感情に近い気持ちを取り戻していく。
私がこの小説で描いた、昭和30年代から50年代の日本は、歴史的にも世界的にも人々が最も幸せだった時代であったと確信している。私自身、自分ほど幸せで豊かな子供時代を過ごした人はいないと思っている。
私がこの小説を書いたのは、そのような時代の生の記録を残し、人々の記憶に残したいと思ったからだ。というよりも、それがその時代を生きた人間の使命であり義務であるという思いに突き動かされた、と言った方が良いだろう。なぜなら、そのことによって、あるべき社会・特に目指すべき子供社会の姿のヒントを示すことができると思っている。特に子供たちがスマホやゲームに溺れ、自殺する子供も増えている現状が少しでも良い方向に向かってくれればと願っている。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2023-10-25 21:00:00
74969文字
会話率:25%
猫は賢く、感情の揺れも人間のそれに等しいのですが、人間の目には愛玩動物に映ることが多いと思われます。僕にとって、人間という種族はコミュニケーションの対象ではありません。しかし、少しでも猫という種族を理解してもらえる可能性があるなら、そのため
に割く労力を僕は厭いません。この小説を書いたのは、そんな気持ちからです。稚拙な文章ですが、これを原文の意図に従って、忠実に翻訳できる人間が居ることを切に願います。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-11-24 22:24:04
1849文字
会話率:28%
勇者の従卒を選ぶ村に生まれたロイド。
彼は勇者を導く役目を申しつけられるが、「ニホン」という国からやってきた勇者は役立たずであった。
ロイドはなんとか勇者を鍛え、魔王城へ向かうが、勇者は肝心なときに倒れ、役に立たない。
仕方がないので
ロイドは「勇者」しか装備できない「聖剣」を握りしめる。
そこで仲間たちは初めて知る。
パーティーでも目立たなかったロイドが、このパーティを支えていたことを。
真の勇者といえるのは彼だったことを。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-07-16 15:07:43
5628文字
会話率:18%