京都大学の立て看板の撤去が問題になっております。
実は私も立て看板を作って立てたことがあります。
2000年初頭、京都大学文学研究科教授筒井清忠(現帝京大学文学部長)が起こしたセクハラに対し、辞職を求める(京都大学の公的な処分は謹慎3か月)
旨を描いたタテカンです。
タテカンは一種の大学の自浄能力であり、情報伝達ツールとして機能してきました。
タテカンは大学を囲む塀に括り付けておくのですが、タテカンを立てるためだけにあったこの塀はもはや邪魔なだけになりました。
撤去すべきはこの塀であると私は思います。
大学を外部と遮蔽してしまい、学問を一部の連中に占有させておかなければならない理由などどこにもありません。
そういったわけで「極限まで開かれた大学」を考えてみました。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-10-29 10:31:52
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