人間とは何か?、「私」とは何か?──誰しも一度は考えたことがあるだろう哲学的な問題。我々は一体何者で、どこから来て、どこへ行くのか?人間は歴史の中でその答えを求め続けてきた。
例えばヒトの学名であるホモ・サピエンス(Homo Sapie
ns)。これは知恵のある人を意味する。また、歴史家のホイジンガにより提唱されたホモ・ルーデンス(Homo Ludens)や哲学者ベルグソンが名付けたホモ・ファーベル(Homo Faber)」など、人間とは何かを規定する単語はいくつか存在する。であれば、テストで「人間とは何か?」と言う意地の悪い問題が出されたら、「ホイジンガかく語りき」と書いておけば点数が入るだろう。
だが、それを答えとしていいのだろうか?これらはあくまでホイジンガやベルグソンが考え出した答えに過ぎないじゃないか。哲学とは、他人の結論を答案用紙に書き写すものではなく、自分の考えを白紙図に書き出すことだ。なので、私も何か一つ、哲学をしてみよう。ヒトに名前を付けてみようではないか。人間を規定してみようじゃないか。
「分けるヒト(Homo Divider)」。それを私の答えとする。
なお、本稿は学術論文のようにはっきりとした根拠は無く、「わたし」がこれまでに読んだ論文や書籍、映像作品、音楽、経験を綯交ぜにしたうえで出力された私論、エッセイである。こういう考え方もあるのかと、「あなた」の頭の片隅に置いて頂けたら幸い、駄論と否定するも自由。それも答えである。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-21 18:24:50
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