最近、世間一般で言われる「育ちの良さ」はどのような価値観に基づいてるのか、あまり言及されないバックグラウンドを宗教や、日本のキリスト教史などの歴史的背景から考察した記事です。そうすると、非宗教的なイメージで語られる「育ちの良さ」が紛れもない
宗教的な価値観が浮かび上がってくるのは驚くばかりです。
カルトの問題などが世間を騒がせていたのは記憶に新しいいですが、実はカルトと並行して「育ちの良さ」というものを無批判に飛びついて狂信してる事は同じ問題ではないかと思いました。カルトの二世が問題になってますが、「育ちの良さ」がよくわからないヤンキー層まで「育ちの良さ」で値踏みされるのなら、与党の中核思想に特定カルトの価値観が及ぶような感じがします。
「育ちの良さ」への無批判な傾倒は、「特定の宗教的価値観を信じてない(迷信的でない)啓蒙、合理的」な日本人のセルフイメージと異なるものです。特定の宗教を信じる代わりに、「育ちの良さ」や「学歴」などを盲信してる。
なぜ大多数の日本人が「育ちの良さ」が体得できないのか考えていきましょう。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-10-28 14:04:28
5810文字
会話率:2%
とある博打屋に住む右近は無宿の者だ。ここに来るまでの過去を誰一人として知らない。
吉原で育ったと言うものもあれば、関八州(現在の関東地方)から流れてきたと言うものもいる。育ちの良さからとあるお武家様のご落胤だと言う噂もある。
実際、
同心の方も右近に会うために博打屋を訪れる。
……作者が岡っ引は私立探偵もどきという事実をネットで見てしまったがゆえに、出来た創作です。
御用聞きというのは岡っ引のことです。
岡は「岡目八目」と同じく脇の立場であることを指し、公儀のお役人である同心ではない脇の人間が拘引(逮捕)することから岡っ引と呼ばれた。
御用聞きは博徒やエタ、的屋などのやくざ者や親分と呼ばれた地域の顔役がなっていたことが多く、下っ引や手下と呼ばれる子分を持つことも多かった(ウィキペディアより)。
無宿(むしゅく)……江戸時代において現代の戸籍台帳と呼べる宗門人別改帳から名前を外されたもの。現在の住所不定無職と同様に必ずしもホームレス状態にあるわけではない。連座を恐れた親族から感動された町人や、軽罪を犯して追放刑を受けたものもいたが、飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻により、農村で生活を営むことが不可能になった元百姓もいたという(ウィキペディアより)。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-04-14 21:07:18
11613文字
会話率:61%
山奥で魔術の修行を積み、下山した少年は成り上がりを夢見て王都を目指していた、その途中で身なりはボロボロだが、やけに育ちの良さそうな少女と出会う。
流行りの悪役令嬢ものを書こうとしたら、なにやら妙な方向に向かってしまいました。
最終更新:2015-07-24 02:10:15
8097文字
会話率:31%