父、伊藤実一は、会津で育ち、小作人の娘、福江と結婚。終戦後の貧しい時期、親戚を頼りに上京。1953年、光一が誕生。親戚の絹代さんが可愛がってくれた。しかし彼女が乳がんで若くして亡くなった。彼女は、自分の資産を光一に託した。光一は、横浜国大
化学科卒業し、医薬品メーカーのプロパーとして新潟へ赴任し、多くの人との出会いで、幾多の試練をくぐり・・・、2020年までの長編です。後は、本編をご覧下さい。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2020-11-12 23:00:00
67854文字
会話率:1%
川越近隣の廻船問屋の末裔として生まれた、塚田守は、先祖のお陰で
戦後の物資不足の事態でも、食べるものに苦労することなく育ち、戦後、
神武、岩戸景気で父、塚田一郎は財を増やした。息子の塚田守には、
小さい頃から、算数、英語などをたたき込み。
特に、ソロバンが得意。
中学でも主席で、都立国立高校から東京大学工学部に合格した。
しかし、大学1年の時に頭に激痛が走り、医者の診断で小さな脳腫瘍が
見つかり、日本で,始まったばかりの強度変調放射線治療を開始する事
になった。もちろん多額の医療費がかかるが、父のお陰で、治療を受け
られた。治療後、何か意味不明の映像のようなものが、頭に浮かび、
気になったので、それを帳面に書き写して残した。2回、3回目の
放射線治療で頭のモヤモヤ感が消え、勘が鋭くなり、集中力が蘇った。
その書き写したものを見て、父が驚き、株投資に利用し、大成功した。
その後、定職に就かず、家庭教師のバイトで生活していたある日、
行きつけの喫茶店で、そこのマスターが交通事故で亡くなった時に
遭遇して、気が動転した奥さんの手伝いをして、葬式の手配をした。
そうしてるうちに仲良くなって、喫茶店を手伝い、結婚した。
その後、株投資で財をなし、子供達を早稲田大学理工学部へ入れ、
米国を旅行し、しばらくしてポルトガルへ行き、好きになり、
ゴールデン・ビザを取り、長期滞在できるようになり当地でクルーザ
ーヨットを買い、現地のアメリカンスクールに子供を入れた。
その後、再び、妙な映像が頭に残り、日本の実家に電話を入れた。
・・・その後の奇妙な出来度と、子供達の将来と展開していく物語。
その奇妙な出来事と、子供達の将来については、小説を読んでの
お楽しみです。是非、ご覧下さい。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-01-15 22:55:11
43775文字
会話率:1%