新々刀期の三大刀工の一人、大慶直胤(たいけいなおたね)。彼にはいわゆる『松代藩の荒試し』という不名誉な伝承が残されている。それを基に書かれた小説が拍車をかけて、ネットの普及で爆発的に拡散されて、『水心子正秀(すいしんしまさひで)の弟子で有
名なだけ、見た目が良いだけの駄刀』という誤解が広まってしまっている。
ところが近年、世界遺産になった『韮山反射炉』に彼が大きく関わっていたことが江川文庫の研究で明らかになった。
時は江戸時代末期、『松代藩の荒試し』が行われたのはペリー来航の嘉永6年。激動の時代に生きた彼を当時の人々はどう見ていたのか。荒試しにはどのような思惑が隠されていたのか。
別に刀に詳しいわけでもなく、日本史を専攻したわけでもない、古文書の読み方なんて知らないただのアラフォー主婦がググった程度の話ですが、それでも直胤の異常なバッシングに一石を投じることができたらいいなと思い、頑張って書いてみます。なんたって直胤は韮山反射炉や台場(洋式の海上砲台)築造・日本初の洋式帆船『ヘダ号』製作の責任者、『江川英龍様』の師匠だもん。私は江川様ファンである。
そしてこれが一番大切なことだが、私は直胤を上げて山浦真雄(「やまうらまさお」だが「さねお」とも呼ばれる)や清麿(きよまろ)を貶めたいわけでは決してない。
(登場人物については後ほど詳しく書きます。)
『真雄と清麿とそれから直胤、みんな違ってみんないい』と思っている。『推し』を褒めるために他の刀工や他担を攻撃するのはオタクのマナー違反だもん。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-08-31 15:37:54
30838文字
会話率:4%
世界遺産になった韮山反射炉やお台場築造、農兵論やロシア軍艦ディアナ号の代わりとなる洋式軍艦ヘダ号を造るなど、幕末に大活躍した36代江川太郎左衛門・英龍の偉業があまり知られていないのはなぜか。
英龍亡き後の幕府は混乱を極め、やがて英龍達が進
めたオランダ式の西洋軍事化をフランス式に方向転換する際に意図的に江川氏の影響力を排除しようとした。
さらに明治時代になると、中央集権国家を目指す政府は領民から圧倒的支持を得る江川氏を疎(うと)んじ、その影響力を削ぐ政策を執る。
数え年わずか10歳(実年齢9歳)で韮山代官となった英龍の5男・英武と英龍の右腕・柏木総蔵の目線で英龍の偉業を見つめ直す物語。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-08-13 15:26:36
12364文字
会話率:13%