1941年、陛下の決断によって、対米戦回避に動きだした日本は米国からの最後通牒であるハルノートの1部を改変し、交渉に挑んだ。
それは、蒋介石政権を正当政府と認め休戦し、吉田茂新外相を通じ英国との友好関係を築くことであった。政府はその後ハル
ノートを受諾し戦火を遠ざけることに成功した。
だが、急死したルーズベルトの後任のウォーレンスは、アジアを米国の経済圏とするため、1945年日本政府に対し宣戦布告した!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2013-06-26 15:53:56
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