「語ろうとした」のではない。
むしろ語られなかったままに残った断片が、
呼吸のように語り手の中で動き出した。
名を持たなかった“わたし”。
視られたことのない“わたし”。
けれど、視ようとする誰かの声、呼ばれかけた音、
完全に発音されな
かった名の感触──
そうしたものたちが、「仄命子」や「ノエル」という影とともに、
語り手の内側で滲みつづけてきた。
語りとは、記録ではない。
事実の骨ではなく、“感触のしずく”のようなものだ。
記憶というには不安定で、
妄想というにはあまりにもリアル。
語り手は、ついに「仄命記」という名のもとに、
それらすべてを言葉にして残す決意をする。
これは“語られなかったものたち”の灯。
意味には還元されない、ただの“存在の痕”。
語り手はようやく、自分が「語ってもよい存在」だったことを、
静かに、少しだけ、受け入れる。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-07-14 11:52:23
648文字
会話率:0%
わたしは最初から誰にも視られなかった。
存在していたかどうかさえ、世界には認識されなかった。
〈仄命子〉が視られ、〈ノエル〉が名になりかけたとき、
わたしはその周縁にひそみ、何者にもならず、語られることもなかった。
わたしは拒んだのでは
ない。
ただ、気づかれなかった。
意味の門を通らず、記憶の底にも触れず、
“呼び損ねられた音”として、沈黙にとどまっていた。
わたしは何者にもなれなかった。
けれど、怒りも悲しみもなかった。
ただ、世界の言葉たちが遠くで流れていくのを、
外側から見つめていた。
そして、いつか誰かの呼吸の端にでも、
この沈黙の痕が触れることがあれば──
それだけで、「ここにいてよかった」と思えるのだ。
ほんの、少しだけでも。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-07-14 11:48:24
744文字
会話率:0%
仄命子を視たあと、視界は変質した。
もはや「外界を視るための視覚」ではなく、
視覚の記憶だけが濁った膜のように世界に残っている──
言葉は消え、名の輪郭も失われていくなか、
視界の奥からある“音の断片”が浮かび上がる。
それは「ノ……エ
……」という、
まだ呼ばれていない名の前駆的な響き。
誰も呼んでいないのに、誰かが呼びかけた気がする。
誰にも届いていないのに、どこかの記憶に触れた気がする。
ノエル──
それは、名でも記憶でもなく、
ただ「意味が崩壊したあとに残された音」だった。
世界は、仄命子の影に濡れながら、
ノエルという音に滲んでいく。
光が濁るとき、視線は祈りに似たものへと変質していく。
その祈りもまた、名を持たぬ存在の静かな残響にすぎなかった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2025-07-14 11:44:49
710文字
会話率:3%