◇1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の甥で皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がサラエヴォにおいて妻と共に暗殺された。このサラエヴォ事件の直前、隣国の帝政ドイツで、アメリカの調査隊
が消える事件が起こっていた。
◆調査隊が探していたのは、聖油の製法であった。
キリストの足を拭い去り肉体と精神の復活をを支えた聖油。
マケドニア、アテネ、エジプト、兎国など古代の王達の頭上より注がれ100年を越える英知を授けた聖油。
スパルタンやアレキサンドリア、ローマの覇者強者の傷を癒し、陶酔感を与え、永遠の世界を得ることを可能にした聖油……。
第1次世界大戦前夜の1914年3月2日、各国の聖典や歴史に刻まれた12の聖油の技法を発見した。
しかし、その技法を書き記した書類とスタッフ全員が1914年3月21日、帝政ドイツに入国した後に消えた。
調査隊長アメリカ・ミスカトニク・リベラル・カレッジのエレマイア・オーエンと12人の隊員が消え、
製造方法が待ち受けていたヨーロッパ大手薬剤メーカーの手に渡らないまま、世界から消えた。
世界大戦に悩める多くの国と薬剤メーカーが期待した兵器として、また救国の薬として、
多くの諜報員が探したが、その足跡は消えたまま……100年以上の時が過ぎ去り、その期待も費えた……そして、現在。
◆新自由学園の大学医学部では、ペイン治療に対する数多くの研究発表が行われていた。EUやUSAを拠点にした世界有数の化学医薬品メーカーが、共同開発を申し込む。その数々の医薬品のパテント料を製造から担い、学生の自治に生かし、学園経営のために、販売・運搬に学生が参加する社会支援クラブが進んでいた。
◎ローズマリー・ブローカー、RMBと略される医薬品クラブもそのひとつだった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2013-01-15 20:00:00
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