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検索結果:309 件
時は天長三(八二六)年。権勢を極めた藤原冬嗣の死とともに、権力は右大臣藤原緒嗣のもとに移った。
冬嗣の子藤原良房は嵯峨上皇の娘を妻に迎える厚遇を得ていたが、父冬嗣と対立していた緒嗣の権力下では冷遇され大学頭へと左遷される。だが、そこで大学生達の支持を集めることに成功した良房は、自らの権力基盤を若者と民衆の支持に置くことを決意し、緒嗣と対決することとした。皇太子正良親王の教育係に転身した良房は、それまで二〇〇年間誰もが疑うことなかった律令制への反旗を見せる。緒嗣ら高齢者の非
難を受けた良房であるが、法の盲点を突いて大規模な土地所有に乗り出し莫大な財産を築いて失業者の救済と地方の発展を呼びよせた。そんな中、淳和天皇は退位し正良親王が仁明天皇として即位する。
その頃国外では新羅の混迷が増し、日本への海賊襲来となっていた。国外対策を模索する緒嗣は新羅を通さぬ唐との折衝を目指して遣唐使の派遣に乗り出すが、遣唐使の派遣計画は国家財政の破綻を招き、経済対策に追われた緒嗣の政策は大インフレを呼び起こし、治安が急速に悪化した。良房はその対策に追われ国内の盗賊相手に武力を行使すると同時に遣唐使派遣の中止を主張するも、緒嗣は遣唐使派遣を強行に主張。出航した遣唐使船は全て遭難し百名以上の命が失われる。遣唐副使小野篁らは唐への派遣を拒否して下船し朝廷批判をした。残された遣唐使たちは命がけの航海で唐に渡り全ての船を失いながら帰国したが、緒嗣の企画した唐との折衝は確立されずに終わり、緒嗣の権力は怪しくなる。
追い詰められた緒嗣らはクーデターを企画。嵯峨上皇が病に伏した隙を狙い、配下の橘逸勢と伴健岑の二人に皇太子恒貞親王の拉致した上での決起を命じるが、これを見破った良房はクーデターを食い止め緒嗣を失脚させることに成功。承和一〇(八四三)年、緒嗣の死とともに日本の権力は藤原良房の手に渡った。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2010-05-02 06:04:28
178115文字
会話率:13%
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総合ポイント:66pt 評価ポイント:46pt
国の借金の仕組みと、それに関わる色々な話を、簡単に説明してみたつもりです。
最終更新:2010-05-01 13:17:36
3774文字
会話率:0%
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総合ポイント:73pt 評価ポイント:63pt
世界の国々つまり、この世の事を万国と呼んでいる世界。万国では地域どうしの戦争や地域内の内乱など戦火が絶えず混沌としていた。
砂漠が地域の大半を占める砂地域で、この地域の財政を切り盛りする楊天山(ヤン=テンシャン)という文官の若者が砂地域の首領・砂の皇子になるために、ある命令を言い渡される。
それは、砂地域と万国の和平同盟の締結。
不思議な力を持つ、身元不明の少女・ほたるをお供に万国を股にかけた冒険活劇。
最終更新:2010-03-19 02:11:12
986文字
会話率:13%
IN:0pt OUT:10pt
総合ポイント:2pt 評価ポイント:2pt
嵯峨天皇の絶大な信頼を得て若くして権力を掴んだ冬嗣(ふゆつぐ)は、勢力を伸ばそうとたくらむ葛野麻呂(かどのまろ)や緒嗣(おつぐ)といったライバルと宮中で冬嗣と対立する中、他者の上に冷酷な存在として君臨する。だが、権力を掴んだ冬嗣の前に立ちはだかっていたのは日本史上最悪と言われる飢饉だった。その上、以前より続いてきた出挙を軸とする経済はバブル崩壊を迎えて破産者が相次ぎ、日本全国で失業者と餓死者が続出して税収がなくなり、田畑は捨てられ、都には生活を失った人があふれるようになった
。冬嗣は貧困を無くそうと借金の税率を引き下げ、生活に困った国民にコメを分配するも貧困はかえって悪化する。
飢饉は国境の外でも発生し、東北地方の蝦夷が日本人の集落への侵略を開始。頼りとする勇将坂上田村麻呂も病に倒れて命を落とし、侵略を跳ね返すための負担が国庫を悪化させる。戦乱は国内の日本人と蝦夷との民族対立も呼び、各地で扮装が勃発する。それでも、苦しみながらも日本軍は蝦夷を追い詰め、三八年間続いてきた蝦夷との戦いを、本州統一という最高の形で終えることとなった。
しかし、平和は訪れなかった。本州統一直後に海の向こうから新羅が襲来する。対馬は蹂躙され九州に軍勢が押し寄せるが、国家をかけた戦いは日本の完勝に終わり、新羅軍は無条件降伏した。戦勝も状況の改善にはつながらず、一方で、財政危機は役人と貴族の腐敗を招いた。国庫からはコメが尽き、金銭に経済の主軸を移させるがそれがかえって大インフレを巻き起こす結果となる。持つ者と持たざる者との格差が拡大し、貧困はいっそう悪化して国に救いを求める人が増えるが、冬嗣にはその全てに応えることはできなかった。冬嗣に頼れなくなった国民は国の力を借りず生きていこうとする。地方は次第に独自の権力を持ち、後の武士の誕生のきっかけとなった。
自然災害で日本各地は壊滅的なダメージを毎年のように受け続ける。嵯峨天皇はただ一度を除いて好景気を経験することのないまま責任をとって退位し、本人は拒絶するも弟の淳和天皇が即位した。冬嗣は人臣の最高位である左大臣へと上り詰め二人の息子を貴族としてデビューさせるが、淳和天皇は平城上皇と薬子の起こした反乱の関係者を赦すという名目で、冬嗣の権力のきっかけとなった反乱鎮圧と首謀者の殺害の出来事を批判した。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2009-12-06 11:57:57
99478文字
会話率:9%
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総合ポイント:36pt 評価ポイント:16pt
平安時代中期、宮中は藤原家と学者派の二派が勢力争いを繰り広げていた。陽成天皇は親友藤原時平とともに民衆の苦しい暮らしを目の当たりにし、今の政治が誤っていると確信。学者派とともに律令に基づいた天皇親政を目指し、時平の父である太政大臣藤原基経を追放する。だが、基経抜きの学者派による政治は国中を混乱に導き、陽成天皇は精神的に追い詰められ、復帰した基経によって退位させられる。
父の威光を受けた時平は出世街道を歩みながら陽成上皇の帝位復帰を模索する。だが、新たな天皇となったのはかつ
て陽成天皇の臣下であった宇多天皇こと源定省。時平は陽成上皇を支援したため学者派の巣くう宮中で孤立するが、父基経に与えられた「阿衡」の文字を皮切りに宮中から学者派を追放することに成功する。
学者派を失った宇多天皇は新たな側近として菅原道真を抜擢する。だが、道真も陽成上皇支持を表明。これにより学者派は道真に深い怒りを見せるようになる。
基経の死により新政を始めようとした宇多天皇に新羅軍来襲の報が届く。時平は武士を九州に派遣し、道真は遣唐使として唐に出向き、新羅への軍事侵攻を要請しようとする。新羅が撤退したことで道真の唐行きは白紙となるが新羅との対立は続き、道真は最前線に立つため自分を九州に遣わすよう提言。また、国難に何もでずにいた宇多天皇は失意から退位を告げる。時平はその両方に猛反発するが、宇多天皇は退位した上に出家し、道真は辞表を出して九州へと出向き客死した。
ただ一人宮中に残った時平は財政再建と奴隷制廃止を進める。それは結果を出したが寺院勢力を敵に回し、道真の怨霊という噂が広まることとなる。
時平の三八歳での死は道真の呪いのせいとされ、道真の怨霊の噂が消えるのはそれから百年を要した。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2009-12-06 11:39:46
95378文字
会話率:22%
IN:0pt OUT:75pt
総合ポイント:37pt 評価ポイント:15pt
私は今日も仕事を終え帰宅した。他の数名の 私 の待つ家へ。
急速に進む高齢化と、少子化による労働力の減少であえいでいた国家は最新の意識転写技術と遺伝子複製技術を使い新たな国家財政安定策を施行した。
個人情報の保護と使用方法の法律に守られた中、私 は今日も働き続ける。
オリジナルの私の為に、国家の為に…そして…
最終更新:2009-11-12 14:50:24
2870文字
会話率:0%
IN:0pt OUT:38pt
総合ポイント:6pt 評価ポイント:6pt
作:ツジセイゴウ
ヒューマンドラマ
完結済
N3455E
2030年、世は超高齢化社会を迎えていた。年金財政はとうに破綻、困り果てた政府は後期高齢者特別収容施設「永久の荘」を建設した。収容人員2万人のこの巨大老人ホームの真の姿は、官営の安楽死施設であった。そして、その裏にはさらに恐ろしい政府の陰謀が。高齢者だけ致死率が高くなるウイルスが散布される日。30年後、あなたはこうして始末される。
最終更新:2008-08-16 13:40:18
58898文字
会話率:52%
IN:0pt OUT:45pt
総合ポイント:131pt 評価ポイント:105pt
シグマ帝国に支配されてきた国々は次々と政治的には独立していったが、実質の支配は、シグマ帝国皇帝を総帥とするシグマ財閥(シグマ連合)によって牛耳られることになっていった。
最終更新:2007-11-30 23:02:46
7823文字
会話率:0%
IN:0pt OUT:0pt
総合ポイント:2pt 評価ポイント:2pt
フランス南西部を流れる、ロアール川の流域には、いくつかもの古城が点在する。そこは、この国に無数に存在する観光ルートの一つだった。しかし、フランス政府の財政事情も手伝って、そのどれもが見学可能という訳ではなかった。外観は立派でも、中は廃虚同然であったり、土台と外壁以外は、すべて崩れ落ちてしまったようなものも多かった。観光ビザで入国した秋津隆也は、そんな薄暗い廃虚のような城の一つの中で、大きく口を開けた石畳の床下を覗いていた。その穴の中で、炭坑夫のように穴を掘っていたのは、ピエー
ルという名の金髪の美青年だった。日本で、建築家としての夢に敗れた隆也は、この国の古い城を巡る旅を続けていた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2007-07-17 15:38:11
33592文字
会話率:41%
IN:0pt OUT:71pt
総合ポイント:16pt 評価ポイント:14pt
検索結果:309 件