伊賀忍者と織田信長の戦い、二度にわたる天正伊賀の乱を、主人公のくノ一忍者、衣茅の目線を中心に描きます。
作中には実在の歴史上の人物を中心に、魅力ある武将をたくさん登場させ、できるだけ史実に基づいてストーリーを進めますが、盛り上げるため
に、架空の人物や架空の話も織り交ぜます。
難しい歴史小説をめざしていなくて、誰もが楽しめるヒューマンドラマに近い物語になっていくことでしょう。
乞うご期待!折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-12-13 07:30:00
115537文字
会話率:41%
現代(令和)から戦国時代の赤子に転生したのは、薬丸自顕流を学び大河時代劇『太平記』で美少女アイドル・後藤田久美が演じた北畠顕家に目が釘付けになって以来、若くして世を去った悲劇の武将・北畠顕家に尊敬の念を抱く、“おっさん”だった。
そんな
おっさんが転生した赤子は、戦国の覇王《うつけ》織田信長の命で北畠に養子に入ったにもかかわらず家中を纏める事が出来ずに、養祖父・北畠具教が武田信玄の南進に合わせて反旗を翻そうと画策することを許し、憤慨した信長から北畠を誅殺するように命じられ唯々諾々と従ってしまった織田信雄だった。
しかも、その後に伊賀の国に単独で戦を仕掛けて有能な家臣を死なせ、信長に叱責されて天正伊賀の乱を引き起こし、本能寺の変では安土城を焼失させるなど数々の不始末を連発し、織田家は残したものの僅かな領地しか子孫に残せなかった“戦国の不覚人”と呼ばれた愚物。
敬愛する北畠顕家の家を潰し、子孫は残したものの“戦国の不覚人”という汚名を後世に残すこととなった男に転生したと知ったおっさんは、不退転の決意で“戦国の不覚人”という汚名を晴らし、北畠家を後の世に残すため邁進していく…
注:作者は、織田信雄を史実で“不覚人”(覚悟の出来ない者・不心得者)と揶揄されるほどの愚かな人物だとは考えておりません。
覇王・信長の子息だった信雄は、秀吉や家康という信長に続く天下人から見れば自分たちの地位を脅かす危険な人物と考え、目の敵にされて族滅の憂き目にあってもおかしくないにもかかわらず“愚物”と見做されることで、子孫を現代にまで残した傑出した人物なのでは?と思ってしまうのです。
ただし、意識して天下人たちにそう見做されるように身を処し振舞っていたのなら、ですが…
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2024-11-20 00:00:00
650272文字
会話率:33%
長い伊賀忍者一族の歴史の中で体術、忍術を究め最強と言われる男【正虎】
第二次天正伊賀の乱で討ち死にした正虎は死者の世界をさ迷い歩き見た事もない巨大な門を発見する
その門をくぐった先は異世界への入り口だった!?。
最終更新:2022-09-04 15:56:15
4962文字
会話率:37%
本作は、〝伊賀の忍び城戸弥左衛門が、天下人織田信長の暗殺を謀った〟という伝承(『伊乱記』『伊賀旧考』『城戸文書』等)を元に、そこへ信憑性のある形でフィクションの要素を加えて構成した物語である。
天正九年(1581)。伊賀は、天下布武を掲
げる織田四万の大軍に怒涛のごとく攻め込まれる。織田軍によって女子供まで容赦なく虐殺され、神社仏閣は焼き尽くされる。伊賀の里は修羅場と化した。
「魔性の一族に合戦の作法なぞ無用じゃ!」
すべては伊賀忍びを忌み嫌う織田信長の意向である。伊賀勢も砦を築いてゲリラ的に抵抗するが、衆寡敵せず、無残に敗北する。
城戸弥左衛門は、鉄砲術と遁走術を得意とする伊賀随一の忍びである。弥左衛門は山奥の隠れ家に潜み、織田家への恨みを募らせていた。だがすでに伊賀は降伏し、織田家に隷属してしまっていた。どうすることもできない。だがほどなくして彼は、恨みを晴らす千載一遇の好機を得る。信長が、織田家の領地となった伊賀を視察に訪れるというのだ。
印代判官と原田木三という凄腕の伊賀の仲間とともに森に潜み、弥左衛門は油断している信長を鉄砲で狙う。暗殺成功は目の前と思われたが──折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2022-08-13 02:37:39
29318文字
会話率:32%
戦国時代 最強の忍と言われていた服部半蔵・百地丹波と並び三大上忍と称された伊賀の上忍 藤林陽天はある夜、第二次天正伊賀の乱のおり、織田軍の夜襲に遭い、壊滅状態に陥った。主人公 藤林陽天はその際、裏切者の仕掛けた爆弾の爆発に遭い死亡したかに思
われたが、異世界に転移していた。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2019-02-27 18:04:41
36095文字
会話率:54%
信長暗殺
伊賀忍軍を殲滅させるべく大軍を動かした織田信長。
さしもの忍者達も織田軍の物量の前に、その命運も風前の灯だった。
織田軍と忍者の戦いとして、歴史に大きく刻まれる「天正伊賀の乱」
その中で「信長暗殺」を企てた最強の忍者がいた。
城戸弥左衛門《きどやざえもん》
彼は、自らを"第六天魔王"と名乗る織田信長に対し、二度も暗殺を企て、二度とも見事に逃げおおせたという。
そして今、三度目の対決がはじまろうとしていた。
「第六天魔王 織田信長!」
彼は思う
あれ?信長ってあんな角生えて空飛んで巨大化して目から光線出していたっけ?
日本史上に残る戦国時代最強の忍者"城戸弥左衛門"があくまでシリアスに、剣と魔法とライトなノリの異世界を冒険する、忍者アクションミスマッチ異世界ファンタジー折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-10-05 16:08:53
91033文字
会話率:39%
以前書いた「戦国伊賀物語〜はつと鵺〜」のリメイク版です。
前作をベースとして、語られなかったエピソードを多分に含んだ作品となります。
三十一歳のOL鹿島初音は、ひょんなことから戦国時代への扉を押し開いてしまう。
彼女が飛ばされたのは、伊賀
国……鬱蒼とした赤目渓谷山中であった。
天正伊賀の乱を前にした伊賀国、その中のある里で繰り広げられる物語。
初音ことはつは、鵺やその周りの人々の力を借り、右も左もわからない戦国時代を逞しく生きて行こうと邁進する。その中で、ある可能性に気づいていく……。
現代から戦国時代へ。
天正の頃に生きた人々と織りなす、タイムスリップ・ストーリー。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2018-04-30 00:00:00
183424文字
会話率:63%
六所神社は徳川家初代松平親氏こと徳阿弥が陸奥の国塩竃神社から勧請している。そして塩竃神社は京都の賀茂神社と縁が深い。
加茂(賀茂、鴨)は川沿の低湿地帯に生えるアシやカヤ、スキなどの根に生成される褐鉄鉱を求めて移動する集団でもあった。三河
でも鉄を求めて移動して勢力を有していた。
徳阿弥もこれら鴨氏集団の一員であった可能性が高い。徳阿弥は最初三河の幡豆郡の酒井氏に身を置いて以後矢作川そ遡り、松平郷に達して勢力を伸ばしている。
家康は徳川の姓を名乗る事で鴨氏とのつながりを強調したのだった。
賀茂氏は秦氏の中の秦氏であった。秦氏は全国に根を張る技術集団、忍者、修験僧達との強い繋がりで結ばれている。
徳川家康が本能寺の変後、伊賀越を敢行したがこれは服部半蔵の進言に寄っている。しかも家康を先導したのが天正伊賀の乱のとき、率先して伊賀国に侵入した多羅尾光俊だった。
本当ならば多羅尾光俊は信長亡きあと、伊賀国人(伊賀忍者)に報復されてもおかしくはなかった。しかしそのような事実はなく、むしろ後年多羅尾家は徳川幕府執政下で勢力を伸ばしている。
この謎に対して間瀬澄子は推理を働かせる。そして多羅尾光俊の子孫多羅尾次郎からその謎を聴かされる。
平成21年8月中旬、澄子は神社年鑑から行者ヶ森の牛尾観音の管理責任者が望月源之助である事をしる。そして多羅尾次郎の証言から、織田信長は本能寺の変の時拉致されて牛尾観音の地下洞窟に監禁された事実を突き止める。そして間瀬耕一もこの事実を知り、望月源之助に迫って、殺されたと知るのだった。
後日、澄子と内田は京都府警の宅名刑事と共に牛尾観音に向かう。そこで待っていたのは矢口春雄と冨島潤一であった。その数日前望月源之助が自殺している。
冨島は澄子達に信長は牛尾観音の地下深くで眠っている。この事は公表しないでほしいと頼む。もし公表すると間瀬耕一と同じ目に会うだろうと警告する。
澄子達は冨島の言葉に釈然としないものを感じるのだったが、それ以上追求する事は出来なかった。
折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-06-08 16:13:55
45286文字
会話率:7%
平成20年10月20日、京都市山科区の行者ヶ森で間瀬耕一の撲殺死体が発見される。
5年前彼は知多半島の常滑から妻の澄子と共に京都に移住している。彼は常滑では旧家なので、京都へは観光目的できている。
2年前に京都で歴史研究会に入会する。平
成20年3月より本能寺の変について一カ月に一回会員各自が持論を主張し合う事になった。
会の主催者は冨島潤一、会の実質的な運営者である望月源之助が信長殺しは明智光秀という通説をとりあげる。これをを10名の会員に配布する。
3月に広岡直道が明智光秀単独犯行説を発表する。4月の会合では光秀単独犯行説の異論を述べ合う。
5月は高坂登と上村秋彦が朝廷陰謀説を取り上げる。6月は菊池学が秀吉首謀説を述べる。
7月は権藤昭一が足利義昭陰謀説を、8月は瓜坂舜造がイエズス会による信長暗殺説を、9月には成島守が明智光秀非犯人説を披露している。
10月は間瀬耕一の番だが殺されたため、未定、11月は日下部修一だが休止となる。
9月までの会員が発表した資料は冨島を通じて各会員に送付されていた。
しかし間瀬家にはこれらの資料が一切なくなっていた。間瀬澄子は夫が殺される当夜、夫が持って出たと推測した。これらの資料と間瀬耕一殺害と関係があるとみて、澄子は実兄の内田茂と共に各会員を訪問して、各自が発表した資料のコピーを貰う。その上で間瀬耕一との利害関係を調べるが、殺害の動機に結び付くものは見当たらない。
内田は常滑で不動産を営んでいる。仕事の事もあり、2人は一旦常滑に帰る。
平成21年2月下旬に間瀬澄子に日下部修一から電話が入る。彼は11月に発表する予定であった資料のコピーを渡したい事と、間瀬耕一について気になる事がある。事件に結びつくかどうか判らないが電話では話せないので直接会って話したいと言う。
間瀬澄子は日下部の言葉を聞いて胸の騒ぐのを覚えるのだった。折りたたむ>>続きをよむ最終更新:2017-02-17 08:59:12
46073文字
会話率:5%
「天正伊賀の乱」で、生き延びた忍びが編み出した天神流・・・「武勇伝」の外伝で、ついに、天神斎が一天波を使った相手が、明らかになる。
最終更新:2007-08-23 22:52:58
4953文字
会話率:46%